尾崎豊を「叱りつけた」男 川添象郎さんと“10代の教祖”との叶わなかった約束

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尾崎さんを「叱った」ワケ

 しかし、その時の川添さんは「空間プロデューサー」としても活動し、東京・後楽園ビッグシティ内でのビアレストラン「キリンラガーフェスタ」の総合プロデュースとショー演出を手がける多忙の身だった。

「尾崎君からは何度もアルバムのプロデュースを頼まれたんだけどね、時間がなかったんですよ。というのも後楽園のイベントは大規模なものでね。しかも、キャスティングのためにスペインに行かなければならなかった。で、断ったのだけど、それでも食い下がってくるんですね。そこで、アルバムのコンセプトを立ててあげることになったんです。それが米国の人気ギタリストなど、トップクラスのミュージシャンのキャスティングだったのです。ただ、私自身はレコーディングに立ち会えない。それでも、彼らミュージシャンもプロだからね。何とかなるだろうと思っていたんですよ」

 ところが……。川添さんがスペインから帰国すると、尾崎さんのレコーディングは一向に進んでいなかったそうだ。

「言葉の問題もあったのだろうけど、尾崎君とミュージシャンの間での意思疎通がうまくいっていなかった。結局、私が間に入って、ミュージシャンを納得させた。尾崎君にはダメだと叱りつけました。すると尾崎君も反省してレコーディングに取り組むようになったんです」

「後楽園のイベントが終わったら…」という約束

 こうして完成したアルバム「誕生」は、1990年の11月にリリースされた。尾崎さん初の2枚組の作品だった。

 川添さんはこのアルバムについて、こんな秘話も披露してくれた。

「曲がいっぱい出来ちゃってね、結局は2枚組になっちゃったようだけど、もし、僕がレコーディングに立ち会っていたら厳選して1枚にまとめたかもしれないね」

「尾崎君からは、私の名前をプロデューサーとして自分との連名でアルバムにクレジットしたいと言ってきたんです。でも私はコンセプトを立てて、ミュージシャンをブッキングしただけ。どうしても言うならスペシャル・サンクスとして入れたらいいと、プロデューサーとしてのクレジットは断ったんですよ」

 控えめながらも、いざという時は真剣に向き合ってくれた川添さんの人柄とプロデュース能力に、尾崎さんはますます引き込まれていったようだ。

 何度も「マネジメントも含めプロデュースを全てやってもらえないでしょうか」と懇願されたといい、そんな尾崎さんについて振り返る時、川添さんは「正直言って負けましたね」と苦笑いしていた。そして「後楽園のイベントが終わったら、余裕が出来るから一緒にやろう」と約束をしたそうだ。

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