尾崎豊を「叱りつけた」男 川添象郎さんと“10代の教祖”との叶わなかった約束

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 音楽プロデューサーの川添象郎さんが9月8日に亡くなった。83歳だった。

 川添さんは、1969年に米ミュージカル「ヘアー」来日公演をプロデュースして以来、音楽プロデューサーとして、YMOや荒井由実(松任谷由実)らのアーティストたちを世に送り出し、数多くのヒット曲を生み出してきたことで知られる。2008年に手がけた青山テルマfeat.SoulJa「そばにいるね」は「最もダウンロードされたシングル」として、ギネスにも認定された。

 川添さんの“武勇伝”は、あらゆるところで語られているが、筆者が最も印象に残っているのは、取材中に振り返っていた、尾崎豊さんとの意外な関係だ。

復帰後の尾崎豊が頼った

 尾崎さんが、昭知から平成にかけ“10代の教祖”“時代の寵児”として一世を風靡したロック・シンガーであることはもはや説明不要だろう。

 尾崎さんは1986年に活動を停止し、単身で米ニューヨークに渡ったことがあった。9カ月間つづいた米国生活は「クスリ漬けの日々だった」といわれる。結局、帰国後の1987年の年の瀬に覚醒剤取締法違反で逮捕され、東京拘置所で60日間を過ごした。下された判決は懲役1年6ヶ月、執行猶予3年だ。

 その後、復帰した尾崎さんは、ある人物と出会い、自らの作品のプロデュースとマネジメントを頼った。その人物こそが川添さんなのだ。

“妻”同士の縁で

 川添さんは、音楽プロデューサーの村井邦彦と共に「アルファレコード」を設立。前述のとおりYMOやユーミン、さらにはカシオペアなどを手がけたことで知られていた。

 そんな川添さんに、なぜ尾崎さんが接触したのか。筆者の取材に語っていたところによると、

「当時、私のワイフ(林真理子著「アッコちゃんの時代」のモデルになった女性として知られる)が繁美さん(尾崎の妻)と仲がよくってね。そんな関係から知り合ったんですよ。で、ある時、都内のレストランで尾崎君と会ったら、いきなりプロデュースして欲しいと……」。

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