「40歳50歳になってもずうっと今のままでいたい」 急逝した「元小結・千代天山」愛する妻子と過ごした“相撲だけではなかった”人生

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家に相撲を持ち込まなかった

 01年に結婚。翌02年、1男を授かる。

「私たちの名前から1字ずつ取って大和と名付けました。子煩悩で顔をこすりつけるようにあやす一方で、おむつの交換は自分は力があるから締め加減が分からないと怖がりました」(和美さん)

 家で相撲に触れなかった。

「勝っても負けても、ただいまーと穏やかに帰ってきました。引退後、私の郷里の方が子供にとって環境がいいんじゃないかと言って、お店もこの地、白浜町で開いたのです」(和美さん)

 九重部屋直伝の塩ちゃんこ鍋が名物。部屋との良い関係は続き、春場所の応援に大阪まで出向いた。親方夫妻が来店したことも。飾らない人柄で、地元民に大ちゃんと呼ばれて愛された。

「神社の奉納相撲では子供たちの稽古相手を務めました。毎年一番楽しみにしているのは彼ではないかと思うほどでした」(和美さん)

「ずうっと今のままでいたい」

 18年10月、いつものように店の食材の買い出しに出かけ交通事故に遭う。重傷を負い、深刻な障害が残った。

「あまりに急なことで信じられませんでした。息子が高校生になり熱心に卓球に取り組む様子を喜んでいたところでした」(和美さん)

 以来約6年。近年は自宅で療養していたが容態が急変。8月29日、48歳で逝去。

「今年になって25年ぶりに大の里が新入幕から3場所連続で三賞受賞の記録を塗り替えたが、四半世紀破られなかった千代天山の実力を思い返していた矢先の訃報でした」(大見さん)

 千代天山は本誌(「週刊新潮」)の「結婚」欄の取材に〈浮気の心配があるのは自分の方だといわれますけど、一度でもそんなことがあれば信用を無くしますから、絶対それはありません。40歳50歳になっても、ずうっと今のままでいたいですね〉などと語っていた。その言に違わず、生涯愛妻家だった。

週刊新潮 2024年9月12日号掲載

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