「テクノロジーが存在しても、それが有用に使われるかは別問題」 少子高齢化が止まらない日本を救う「発明」は生まれるか(古市憲寿)

  • ブックマーク

 18世紀後半、イギリスの化学者によって亜酸化窒素が発見された。笑気ガスとも呼ばれ、長い間、麻酔薬として活用されている物質だ。

 だが亜酸化窒素が発見されてからしばらくは医療用には使われなかった。吸入すると精神的な高揚感や笑いを引き起こす効果が注目され、「笑気ガスパーティー」や「笑気ガスショー」が流行したのだ。そうやって娯楽として用いられた亜酸化窒素が、医療用麻酔として幅広く使用されるのは19世紀半ばだった。

 もしもっと早く笑気ガスを医療に使う可能性に気付いていれば、手術の苦痛を緩和できた人が増えたかもしれない。テクノロジーそのものは存在しても、それが有用に使われるかは別問題なのである(『「未来」を発明したサル』)。

 人類史において、このような例は枚挙にいとまがない。一般に蒸気機関の発明は18世紀とされ、それがイギリスを産業革命に導いた。

 だが蒸気機関の萌芽は紀元1世紀にあった。アレクサンドリアの数学者ヘロンは「アイオロスの球」という蒸気機関を用いた装置を発明している。それなのに当時の人は、アイオロスの球をただのパーティーの余興として楽しんだという。

 現代人からすれば不可解である。せっかく蒸気機関を発明したのに、なぜそれを実用的に発展させなかったのか。うまくいけば人類の進歩はもっと早まっていたのではないか。

 ただし1世紀のアレクサンドリアで産業革命が起きた可能性は低いだろう。アイオロスの球が改良を重ねても、鉄鋼の製造技術が未熟なので巨大機関は製造できない。ピストンやシリンダーを作れるような複雑な機械工学もなかった。

 それ以上に重要なのは、古代ギリシアやローマでは、奴隷という安価な労働力が存在したという点だ。苦労して蒸気機関を発展させなくても奴隷を確保すればいい。労働力が貴重になり始めていた産業革命時代のイギリスとは違うのである。

「必要は発明の母」とは至言だ。必要がないものは発明されないか、発明されても忘れ去られる。いくつかの技術が組み合わさり、社会状況が整い、さらに想像力が加わった時にイノベーションが起こる。

 そう考えると現代日本は画期的な発明がされやすい環境といえるのかもしれない。2025年には団塊の世代が後期高齢者に突入する。少子化はとどまることを知らず、若年人口の減少で労働力の確保も一苦労。社会としてはかなり切羽詰まった状態だ。このピンチを切り抜けるようなイノベーションが次々に生まれると期待したくなる。

 まあ、そうはうまくいかないのが世の常。高齢社会は想像力も古い時代に拘束されがちだ。デジタル化など日本には改善すべき点が多い。画期的な発明などなくても、先進国が普通に取り入れている仕組みを採用するだけで、まあまあ伸びしろがあるということ。それで時間稼ぎをしながら本当の発明をしていけばいい。21世紀の笑気ガスはどこに眠っているのか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2024年9月12日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。