【追悼】小林邦昭さん 「虎ハンター」が破ったマスクは378万円 初代タイガーマスクとの伝説の攻防秘話 封筒にカミソリも
掟破りのマスク剥ぎ
不穏な予兆はあった。小林が帰国前、メキシコで長州力と行動を共にしていたという情報があったのだ。長州はまさに凱旋直後の10月8日、当時、新日本プロレスのプリンスと言っていい、藤波辰爾に反旗を翻していた。長州と徒党を組むこと自体が、新日本では反主流派になること、つまり、ジュニアヘビー級においては、タイガーの敵側に回ることを意味していた。
タイガーと小林は10月26日、大阪で初の一騎打ちとなるが、その直前に小林が出したコメントも、ショッキングなものだった。
「俺は素顔を知ってるんだぜ」(『東京スポーツ』1982年10月26日発売分)
タイガーはマスクマンだが、他のレスラーと同じくひとりの人間だ。だが、少年少女ファンにとっては、あくまでタイガーマスクであり、夢のヒーローだった。小林のコメントは、言ってはならないことであり、生々しい言動だった。そして迎えた決戦――。
序盤は素晴らしいレスリングの攻防。ところが試合が佳境に入った15分前後。小林は急にタイガーをコーナーに逆さづりに。直後、なんとマスクの口元に手を入れると、一気に裂いてしまった(※16分57秒 小林の反則負け)。
「初公開!Tマスクの素顔」
この試合を報じたプロレス専門誌「ザ・プロレス」(1982年11月16日号)の発売前広告で大書された文字である。実際は、マスクが鼻にかけて少し破れただけで、素顔が露わになったわけではなかった。だが、これだけでも、大事件だったのだ。
それは、数字にも表れた。前週の(小林がタイガーを襲撃した)試合の放送視聴率は16.5%。マスクを剥いだこの日は、録画中継ながら、視聴率がなんと5.7%もアップ。じつに22.2%を記録したのである。更に翌週、2人は再戦し、小林はここでもマスク剥ぎを敢行(11月4日)。しかも、この2回目はエプロン上から外側に向けタイガーをロープに磔にしてマスクを破る形で、観客は直にそれを見ることとなった。場内は悲鳴と怒号の渦となり、視聴率は23.7%を叩き出した。
両試合はこの年の「ワールドプロレスリング」で、初めての視聴率20%超えだった。他にも好カードはあったが、小林によるマスク剥ぎが数字を押し上げたのは間違いない。小林は、リング上で蛮行に及んだ理由を、以下のように語っている。
〈マスク剥ぎはね、俺のほうが最初から狙ってたんだよね。(中略)普通に試合をしたら、お互い勝っても負けてもそれで終わっちゃうだろう、と。あれ(マスク剥ぎ)をやることによって、印象に残るし、以後続く戦いに意味を持たせることができるから〉(「週刊宝石」2000年6月1日号)
実際、2人はタイガーが引退するまで、計7度、一騎打ちしているが、3試合目以降も視聴率は22.0%、23.5%と高値続きだった。戦績はタイガーの全勝(うち、反則勝ちが4つ)ながら、全ての一騎打ちはゴールデン枠で放映され、その平均視聴率は21.8%という驚異的なものであった。抗争が続くに連れ、小林がタイガーのマスクの後頭部にある紐から解いて行くだけで、会場は子どもたちの泣き声すら含む、叫びと怒声に支配されるようになっていった。
2017年、小林も含めたテレビ・ドキュメンタリー製作にあたり、都内のプロレス専門ショップにも取材をかけた。冒頭で紹介した378万円のマスクは、この時期、この店で関係者伝いに売りに出された、2度目に破られた時のもの。余りに早く売り切れたため、ショーウィンドウ越しに展示期間が設けられたが。もちろん、「売約済み」のシールが貼られていた。
なお、最初に破られた大阪での1枚は、2012年、同じ店で250万円で売買が成立。少々具体的な話になるが、この時、2度目に破られたマスクは、300万円で売りに出されていた。このマスクは一度売りに出され、5年後に再び市場に出た時、上述の通り378万円と、更に値が張っていたのである。
この時の取材で、関係者に2つのマスクの値段の差を聞くと、マスク自体の状態や人気の良し悪しもあるが、理由の1つとして、「2度目の方が大きく破られているから」とのことだった。
そして、この大人気となった戦いの余波は、小林にも望外な形で向けられた。
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