「28年経っても涙が出ます…」 未解決「上智大生殺害事件」 被害者の親友が胸に抱き続けた思い
一報を知ったのはインドネシアのバリ島を旅行していた時だった。
「至急、日本に連絡をして欲しい」
ホテルに戻り、実家や友人たちに電話を掛けまくった。まだ携帯電話がそれほど普及していない時代の話だ。すると友人の1人からこう告げられた。
「順子が事件に巻き込まれて亡くなった」
一緒にバカンスを楽しんでいた同級生たちに衝撃が走った。【水谷竹秀/ノンフィクション・ライター】
焼け焦げた家
1996年9月9日、東京都葛飾区柴又で上智大学4年生だった小林順子さん(当時21)が刺殺され、自宅が放火された事件発生から未解決のままきょうで28年。大学時代、順子さんの親友だった同級生のエリさん(仮名、49)は、あの当時の記憶を思い返すと、今でも自然に涙が出てくる。
悲報を受けた翌日、急遽、同級生たちをバリ島に残して日本へ帰国した。機内で日本の新聞を手に取ると、何度も通った順子さん宅のカラー写真が掲載されていた。だが、真っ黒に焼け焦げ、変わり果てていた。
「記事を読んで事件の詳しいことは頭では分かりましたが、バリ島という非日常の中にいたこともあり、なんの実感もわかなかった。信じられませんでした」
日本に到着し、母と一緒に捜査本部がある警視庁亀有署へ向かった。親友として事情聴取を受けた翌日、斎場で順子さんの亡骸と対面する。
その直後だった。
両脇を抱えられ、順子さんの母親がふらふらとした足取りで入ってきた。棺までたどり着くと「ごめんね」と一言発し、その場で泣き崩れた。エリさんが声を震わせながら語る。
「その場面に居合わせてしまったんです。あれが一番きつかった。順子のお母さんには大学1年生の頃からお世話になっていました。もう1人の親友と一緒に順子の家に行ってご飯を食べさせてもらって。もつ鍋とか春巻きとか温かい家庭料理をたくさんご馳走になった。そのお母さんのあんな姿をもう見ていられなくて……」
28年経っても脳裏に焼きついて離れない光景――。
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