壮絶な兄弟ゲンカで解散した「オアシス」が再結成 ロック・バンドが揉める理由はいつの時代も「金」「女」「エゴ」
キースの「女」を奪うミック
ジョンとポールよりももっと子どもっぽい喧嘩をくり返してきたのが、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズだろう。
公になっている、ミックとキースの初期の諍いは女性がらみ。1970年公開の映画『パフォーマンス~青春の罠』がきっかけだった。後にキースの内妻となるアニタ・バレンバーグがミックの秘書役で出演。ベッド・シーンの撮影で2人はほんとうに関係してしまう。ミックは、ロック界では肩を並べる存在がいないくらい、その方面での豪傑なのだ。
「女を奪い合ったのは初めてじゃない。ツアー中のひと晩でもよくあった」(『キース・リチャーズ自伝 ライフ』キース・リチャーズ著、棚橋志行訳、楓書店刊より・以下キースの発言は同書より)
次のようにキースは見栄を張っている。
「アニタがミックの粗末な持ち物で喜んだわけじゃねえけどな」
青年期を過ぎても度々彼らは衝突した。
1985年、ミックは最初のソロ・アルバム『シーズ・ザ・ボス』をリリース。この時、ミックはほかのメンバーに言わずに、ストーンズとセットにした契約をCBCと結んでいた。これにキースが激怒。
「ローリング・ストーンズの契約に抱き合わせで乗っかるのはやめろ!」
キースが怒鳴っても、ミックは馬耳東風。険悪な状況になった。次のストーンズのアルバム『ダーティー・ワーク』はキース主導で制作。ミックは非協力的でツアーに出ることも拒否した。
このアルバムの1曲目「ワン・ヒット(トゥ・ザ・ボディ)」のMVでは2人の険悪な関係がそのまま映像化されている。にらみ合い、パンチやキックを繰り出し、タックルを浴びせる。どこまで本気でどこからが演出なのかはよくわからない。
そしてミックは、2作目のソロ・アルバム『プリミティヴ・クール』収録の「パーティー・ドール」でキースとの決別を歌った。当時のことをキースはこう語っている。
「うぬぼれて、どこのバンドでも自分さえいれば同じことをやれるって思うことは、誰にだってある。わき道にそれたくなるのは、俺にだって理解できる。俺だって他の人間とプレイするのは嫌いじゃないが、当時のあいつの頭にあったのは、ローリング・ストーンズ抜きのミック・ジャガーになることだけだ」
独立が意外とうまくいかないことも
このキースの発言を読むと、洋邦いくつものバンドが思い浮かぶ。
バンドには大きく分けて2つのタイプがある。複数のメンバーがソング・ライティングし、演奏し歌うバンド。そして、1人のフロント・マンが牽引していくバンド。
後者のリード・ヴォーカリストはある時期、ソロ・シンガーの道を選びがちだ。
キャリアを重ねると、バンド内で力量や人気に差が生まれ、広がっていく。ヴォーカルにはもっと技術の高いプレイヤーをバックに歌う誘いもある。腕利きのプレイヤーをバックに歌うと気持ちがいい。味をしめる。バンドの他のメンバーからすれば、これは勝手な振る舞いで、ヴォーカリストのエゴにも映る。
雇った腕利きのメンバーでバンドのナンバーを歌うこともある。そのほうが整った演奏になるかもしれない。しかし、オリジナルとはなにかが違う。リスナーはどこか違和感を覚える。バンドというのは、メンバー全員の演奏や歌が合わさり、影響し合い、その曲の世界観がつくり上げられているからだ。
たとえばポリスのスティングもいったんはバンドを解散し、ジャズ・シーンの腕利きと組んだうえで、ポリス時代の曲もやっていた。しかし、ポリスでの音の切れ味を再認識したのか、度々再結成している。
ミックのソロ活動もまた、ローリング・ストーンズがバンドであることの大切さを世界に知らしめた。結局、ミックも複数のソロ・アルバムをリリースした後は、ストーンズ主体の音楽活動に軌道修正していった。
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