「マサ斎藤の大ファンだった皇族」から「リンカーン大統領は元プロレスラーだった」まで、マニアも驚くプロレス仰天秘話

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リンカーンvsギャングの頭領ジャック・アームストロング

「もしこの砲丸を、私たちより遠くに投げることができたら、君に投票しよう」

 第16代アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンは、イリノイ州スプリングフィールドで、酒場に集まった有権者たちにそう持ちかけられ、砲丸を手に持った。1834年、リンカーンが25歳の時である。州議会議員への立候補を表明していたリンカーンが、そのまま一回転して助走をつけると、砲丸は彼らより2メートル近く遠くに飛んだという。ちなみに、リンカーンの身長は約193センチだった。

「リンカーンは元プロレスラーだった」

 初耳の読者も多いだろうが、プロレス界ではそれなりに知られた伝説。古くは1980年代の専門誌で、アントニオ猪木や前田日明が口にしている。リンカーンは1992年、「全米レスリング殿堂」入りしており、オクラホマ州にある全米レスリング殿堂博物館の入口すぐの壁には、レスリングの試合に臨むリンカーンの壁画が飾られている。そこには「レスリングの腕前は広く知られ、12年間でたった1度しか敗北しませんでした」と書き添えられている。誇張が入っている可能性もあるが、リンカーンがレスリングの強者だったことは間違いないだろう。

 歴代の米大統領にはレスリングの猛者が多く、ジョージ・ワシントン(初代)やセオドア・ルーズベルト(第26代)もそうである。問題はなぜ、リンカーンだけが“プロ”レスラーだったという伝説が広まったかである。それは、1831年、彼が22歳の時に起きた事件が原因だった。

 イリノイ州のニューセーラムという村に引っ越してきたリンカーンは、勤め先の店の主人に、性格のよさや知性、強さを吹聴される。すると、近隣にあるオラリーという森林地帯に巣くっていたギャングの頭領、ジャック・アームストロングがリンカーンに挑戦してきたのだ。試合はニューセーラムで行われることになり、この一戦には、見物人が持参したカネ、酒、タバコなど、あらゆるものが賭けられた。リンカーンvsアームストロングの闘いは賭け試合、つまり“プロ”同士の試合とみなされることになったのである。

 試合はリンカーンの勝利だったとされるが、その内容は文献によって異なる。「リンカーンが投げからフォール勝ちした」「1Rが終わった際、リンカーンがアームストロングに、引き分けにしようと申し出た」など様々な記録が残る。ただ一つはっきりしていることがある。それは、直後にリンカーンがイリノイ州の議員選挙に立候補した時、結果は落選だったが、ニューセーラムが持つ300票のうち、277票がリンカーンに投じられたという事実だった。

プロレスのステータス

 瑞氏は語る。

「この本には、全てのトピックに、それに関連した小ネタを別枠で入れました。例えば上記の項だと、ある皇族の方の少女時代、プロレスごっこをしていた時のリングネームなどが付記されています。ここでは触れませんでしたが、ある団体のレフェリーにお話をうかがったところ、浩宮さまと礼宮さまの新聞記事に何よりビックリしていたのは、当時、来日していた外国人選手たちだったそうです。日本でのプロレスの知名度や、ステータスの高さに驚いたんですね。デストロイヤーの叙勲含め、こうした背景にも思いを巡らせて頂ければ、これに勝る喜びはありません」

 また、腕に覚えのある大統領となると、現在ではやはり、あの人だろう。

「プーチン大統領が有名です。柔道黒帯の実力者で、2000年の来日時、6段の証である紅白の帯を授与されそうになったとき、“私はまだそのレベルではない。この重みにふさわしい柔道家になれるよう努力したい”と、その場で締めることを拒否しました。その時は良い逸話だと思ったのですが……」

 この他にも、驚きも感動もある、珠玉のエピソードが満載だ。

瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。フジテレビ「カルトQ~プロレス大会」の優勝を遠因に取材&執筆活動へ。主著に『アントニオ猪木』(新潮新書)、『プロレスラー夜明け前』(スタンダーズ)など。

デイリー新潮編集部

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