「手錠をかけた中1少女」を高速道路に放置した中学校教師の非道【平成の凶悪事件】
新しいツールによって、出会うはずのない、あるいは出会ってはならない二人が出会い、悲惨な結末を迎える――SNSの発展によりこうした事件が多発しているが、こうした構図は今に始まったものではない。
いまから23年前の2001年9月8日、一人の男性中学校教師が逮捕された。容疑は逮捕監禁致死である。
男は中学1年生の少女に手錠をかけた状態で高速道路に放置。結果、少女は尊い命を失うことになった。
なぜ男はこんな非道な行為をしたのか。そしてなぜ殺人罪ではなく逮捕監禁致死なのか。
経緯を丁寧に見ていくと、今に通じる問題が多く浮き彫りになってくる。
安易な「出会い」の危険性、行き場のない非行少女たち、彼女らを狙う大人たちのいびつな欲望――(「週刊新潮」2001年9月20日号記事をもとに再構成しました)。
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半年前まで小学生だった
つい半年前まではランドセル姿の似合う小学生だった12歳の中1少女が手錠をかけられた無惨な死体となって発見されたのは、2001年7月24日午後10時半ごろのことである。
そして9月8日、警察が逮捕監禁致死容疑で検挙した犯人は、兵庫県内の独身中学校教師だった。
大阪市立S中学校1年生の下草洋子(仮名)さんを中国自動車道に手錠姿で放置して死なせたのが、兵庫県内のR中学校の教師、福沢武(仮名)と知って、彼女の同級生の一人はこう吐き捨てたという。
「だから、センコーなんて信用できないっていうんだよ」
また、今回の事件の犯人逮捕を待ち望んでいた、S中学校の校長もさすがに顔色を失った。
「日頃、先生の言うことを聞きなさいと生徒たちに指導してきたが……下草さんを高速道路に放置した犯人が同じ教師と知った今は、どう伝えたらいいのか頭を抱えるばかりです」
地元の教育現場にショックを与えた中学教師が逮捕されたのは、死ぬ寸前の洋子さんが残した携帯電話の通話記録が決め手となった。兵庫県警の捜査関係者がこう語る。
「被害少女はテレクラの常連でしたが、こっちを利用するときはフリーダイヤルでかけられる公衆電話を利用していた。自分の携帯電話からかける相手は母親や友人たちに限られていたのです。だから電話局を通して、通話先を調べるのは簡単だった……」
残された記録の中からすぐに匿名のプリペイド携帯電話の存在が浮かび上がる。
「今度はこの携帯の通話先を追ったら、全部がツーショットダイヤルを利用する少女たちにぶつかったのです」
そして、そんな少女たちの数人から、事件解決に直結する重大な証言が取れたのだ。
「いつも手錠を持ち歩き、援助交際をエサにSMまがいのプレイを強要する男がそれだというのです。しかも、その男が乗っていたのがベージュ色のワンボックスカーということまで判明しましてね」
事件当夜に中国自動車道を通過する車をチェックしていた自動車ナンバー読み取り機と違法速度取り締まり機の記録から、豊岡市内に住む福沢の名前を割り出すのに時間はかからなかった。
地元記者の一人がこう続ける。
「8月の中旬ごろからは福沢に尾行がつき、玩具の手錠所持の有無、行きつけのテレクラやビデオショップなどを割り出して、裏を取り……ようやく逮捕にこぎ着けました」
日を置いたのは、この捜査と並行して、彼女を高速道路上でひき逃げしたトラック運転手をも追っていたからだ。
「こっちの犯人が捕まれば被害者の放置された瞬間の状況がハッキリし、その証言によっては福沢を殺人容疑で挙げる事もできました。逮捕監禁致死と、未必の故意による殺人とでは、量刑に天と地ほどの差がありますからね」
朝食をペロリ
9月8日に逮捕された福沢は容疑事実を全て認めているそうだが、留置された有馬警察署ではなぜか、驚くほどの健啖ぶりを発揮している。
「気の小さい男と聞いていたが、ちょっと違う。9日の朝も7時に起きて洗顔し、卵にヒジキ、魚の切り身をおかずに、ご飯とみそ汁をすっかり平らげた」(先の捜査関係者)
ところで、この福沢は地元の西宮市出身だった。1989年に和歌山大学教育学部を卒業している。その後数年間、県内の中学校で臨時助教諭をした彼が、地元のある中学校に社会科の教諭として正式採用されるのは93年春のことである。
「当時は、うちで一番若い先生とあってバレーボール部の顧問も引き受け、朝から晩まで張り切って勤務していました。生徒との信頼関係も厚く、彼に悩みを聞いてもらいたくて、わざわざ職員室にやってくる生徒も多かったのです」
と同中学校の元教頭。
「彼は少年時代から阪神タイガースのファンだったとかで、春休みにはキャンプ地巡りまでしていたそうですよ」(同)
ところが、就任して5年目の6月ごろから、彼の態度は急におかしくなっていく。元同僚教師がこう首をかしげる。
「それまで一日とて休まなかった彼が突然、無断欠勤し、結局はそれから半年間も長期欠勤してしまうのです」
医師の診断では自律神経失調症ということだったが、
「原因を尋ねても、蒼い顔をして“教師として、もうやっていく自信がない”と言うばかりでした。12月からようやく復帰しても、以前の彼の明るさは戻りませんでしたね」
閉じこもり教師になってしまった
翌春から福沢がR中学校に転任したのは、教育委員会の配慮によるものだった。しかし、ここでも“物静かで真面目な先生”をやっていたのは、ほぼ2年間だけだ。同中の教頭が言う。
「勤勉な先生で、いつもワイシャツにネクタイ姿で登校していました。そんな彼が今年の6月、“自分の意思を生徒に伝えられなくなったのでしばらく休みたい”と相談してきたのです。それからですよ、彼が一種の閉じこもり教師になってしまったのは……」
砲丸投げや幅跳びなどのフィールド競技が得意で、自ら陸上部の顧問までやってきた福沢が、再び、教師としての自信を喪失し、私生活に孤独な影を引きずるようになったのはなぜなのか。ある同僚教師は、その理由をこう語る。
「元々、西宮の都会育ちでしたからね。人口5万人弱の豊岡市での暮らしに、長くは耐えられなかったのです」
アパートに一人住まいの福沢はしばしば西宮の実家に帰っていたそうだが、運転中は最新流行の安室奈美恵や浜崎あゆみなどのCDをガンガンかけて、大声で歌い続けていたという。
「でも、彼がテレクラ通いまでしていたとは、いまだに信じられない。本人が“但馬地方にまでテレクラが入ってきたら大変だよなあ”と心配していたくらいでしたからね」
しかし警察での自供によれば、福沢が大阪市内のテレクラで遊び始めたのは、2000年の10月からだった。この時期はまた、彼が豊岡市内のビデオショップに頻繁に出入りし、大人向けのソフトを借り始めた頃と一致するのだ。
そのラインナップは、強制的なプレイや女子校生を対象にしたものが並ぶ。これらに触発された彼が通信販売で求めた手錠まで持ち歩くようになっていったということか。
「実は、彼はよく、うちにフィルムの現像を依頼してきたのですが、それが、彼の少女を好む趣味をうかがわせるような妙な写真ばかりだった」
豊岡市内にある写真店主が、声を潜めて話す。
「小学生くらいの男女が遊んだり、笑っているだけの絵柄なのですが、彼はそれを隠し撮りしていたようなのです」
34歳の独身中学校教師が、その程度の趣味で満足していれば問題はなかった。
獲物をあさる
どす黒い欲望の膨張を抑えきれなくなった福沢が、休暇願を学校に提出し、ツーショットダイヤルを通じて、いよいよ獲物をあさり出した時に今回の事件は起きたのだ。
「その餌食となったのが12歳の中1少女、洋子さんだったわけです」(地元記者)
生前の彼女が住んでいた近所の住人はこう言う。
「普段の洋子ちゃんは、笑顔のかわいい甘えん坊の女の子だった。そんな子がテレクラ遊びにはまってしまったのも、先輩と称する仲間たちの手引きがあったからなのです」
この先輩少女たちは自分も中学生の身でありながら、テレクラへの電話のかけ方から援助交際のやり方、男から逃げる方法などを懇切丁寧に、洋子さんに教え込んだのだ。
そして、事件のあった夜も彼女は、先輩たちと一緒に“カモ”を求めて、ツーショット遊びに興じていたのである。
「午後8時10分ごろでした。3日前に母親から買ってもらったばかりの洋子ちゃんの携帯電話が鳴り、“これからテレクラで知り合った男と会ってくるわ”と言って、彼女は自転車でJR吹田駅の方に向かったのです」(先輩少女)
遊びで手錠?
JR吹田駅前で洋子さんを待ち構えていたのが、福沢だった。そして高額の援助交際をチラつかせながら巧みに車内に誘い込んだ彼は、二人で中国自動車道を走りながら、ビデオで見たようなプレイを切り出したらしいのである。兵庫県警のある幹部氏がこう漏らす。
「彼によれば、“この話に恐慌をきたした彼女が、大声で私をののしり、車内で騒ぎ出したので、私はあわてて手錠をかけました”ということだが……。12歳の少女を相手に、SMまがいの遊びを持ちかける大人がどこにいる?」
しかし福沢にとっては、洋子さんは格好のプレイ相手に思えたに違いない。それから2時間近くにわたって、懸命に口説き続けたようなのだ。
「それでも言うことを聞かなかったので、福沢はキレたんだな。彼は“勝手にしろ”と、彼女を車外に置き去って逃げてしまうのだが……。両手に手錠をかけられて高速道路に放置された時の彼女の姿は、彼らの後ろを走ってきたトラックの運転手が発見している。そして車を止めて確認しようとした彼の目の前で、そのまた後続のトラックが彼女をひいてしまったというんだ」
午後10時半ごろの出来事だった。ひき逃げされた洋子さんは、110番通報で駆け付けた救急車で病院に運ばれたが、手遅れだった。頭蓋骨骨折による脳挫傷と大腿部の複雑骨折が幼い命を奪ったのだ。
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逮捕監禁致死ではなく殺人罪ではないか、といった声も上がったが、のちに洋子さんが福沢から逃れるために車から飛び降りたとされ、結局、容疑は逮捕監禁致死のままとなった。
公判(大阪高裁)で裁判長は、彼女が自らの意思でテレクラを利用していたこと、さらに「中学教師だからといって格別に厳しく罰することはできない」といった理由を挙げて、福沢に「懲役6年」の判決を下した。これは検察側の求刑(12年)を大きく下回るものだった。
まるで被害者である少女にも落ち度があるかのような物言いの判決には、批判も集まったが、覆ることはなかった。