永井真理子が「人生をかけよう」と思った短大時代のバンド なぜかソロデビューにつながった思わぬ“事故”とは

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「ミラクル・ガール」などのヒット曲で知られる永井真理子(57)。強いメッセージ性を持つ曲に、ファンは共感を抱き続けてきた。永井自身はそんな自身の曲を「自分に頑張れという気持ちで歌ってきた」と明かす。ロングインタビュー第1回は、兄のギターに合わせて歌っていた子供時代から、歌手への道が開かれた短大時代まで。親から提示された「デビューの条件」は短大の卒業だった。

(全2回の第1回)

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兄のアコギに合わせて歌う「遊び」

 父が教師、母が美容師。静岡県御殿場市で生まれ育った永井は、音楽の英才教育などもなく、4歳上の兄とボール遊びなど野原を駆けずり回る少女時代を過ごしたという。

 音楽の兆しらしきものが現れたのは兄の中学入学以降。両親にアコースティックギターを買ってもらった兄が、ザ・ビートルズを弾くのに合わせ、永井が英語で歌った。兄は次々に新たな曲を練習。兄に求められ、新たな曲を歌い楽しむ日々が続いた。遊びの延長だったが、歌への思いは深まり、ギターへの愛も高まっていった。

「小学生で英語は読めないので呪文のように歌っていました。まさに遊びの一つとして歌うことを知りました。歌うことが楽しいというより、音楽の中にいると心が開かれるというか、明るくなるというか。子どもながらにそう感じていました。音楽によって光が射す感じがしたんです」

音楽に対する渇望を育てた高校時代

 中学生になってから、こっそり兄のギターを借りて練習を始めた。ビートルズのほか、かぐや姫やオフコースも。自分のギターが欲しい。思いは強まったが、父には告げられずにいた。

「父はとても厳しく、『ギターが欲しい』とは口が裂けても言えなくて。でもやっぱり欲しくて、機嫌がいい時を見計らい『高校受験に合格したら買って』とお願いしたら『いいよ』って」

 一念発起し、父が探してきてくれた岐阜県の全寮制高校に見事合格した。高校入学を機に家を出たいと考えていた。

「高校はとんでもなく厳しいところでした。寮の周辺は『クマ注意』の看板がある山の中。買ってもらったギターを持ち込んだのに音を出せない決まりで、3年間ケースに入ったままでした」

 音楽に対する渇望を育て、「卒業したら絶対にバンドを組む」という気持ちを膨らませた3年間。1日15分だけの自由時間に聴いていたのは佐野元春だった。当時、文通していた地元の先輩男子がカセットテープに入れて送ってくれたものだった。

 ヘッドホンで聴くと、詞も曲も全てが自分へ向けられているような気がした。「自分の未来は明るいぞ」「早く外の世界に飛び出していきたい」と心躍らせていた。

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