やす子さんには愛のない24時間テレビ チャリティーという大義名分を掲げる生放送の危険性があらわに

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感動を呼び起こすため? 批判を防ぐため? 「かわいそう」演出はもうたくさん

 Tシャツにしろ痴漢騒ぎにしろ、必死で走ったやす子さんにしてみればそれどころじゃなかった、気にしていない、というコメントが出るかもしれない。が、すでに見ている側として気まずい、不安になる、といった意見が多く見受けられる。それこそ性的なアングルで動画撮影・編集するような迷惑系YouTuberが出てきてもおかしくない。もちろん、これが男性ランナーだったとしても同様の配慮は必要だろう。体の線が出過ぎない衣装や、観客から無闇に触られることのない警備体制は今後の課題として残る。24時間テレビが好む、「健気(けなげ)に頑張る弱者」としてのエッセンスをこれでもかと詰め込んだようなやす子さんのマラソンは、すごいという称賛より「かわいそう」という同情を喚起したことだろう。そして何より、企画に対する誹謗中傷に歯止めをかける効果もあったはずだ。「あなたはこんなかわいそうな人にまで石を投げるような、血も涙もない人間なのか?」と。そこに「愛」はあるのか?と。一昨年のランナーである兼近さんは過去に犯罪歴があり、昨年のヒロミさんはやんちゃ系のキャラ。それぞれに賛否が分かれる人だからこそ、マラソンには「罪滅ぼし」のようなニュアンスがあった。しかしやす子さんにはそういった後ろ暗さは全くない。大逆風の中迎える24時間テレビにとって、これ以上に「批判の盾」となってくれる人選はなかったはずだ。

 ただ24時間テレビに向けられている批判は、そうした「かわいそう」だと哀れむ目線を「感動」にすり替えていやしないか、という点だと思う。チャリティーかつ生放送という二重のかせの中で、ネガティブな面を見せずに走り抜けたやす子さんは素晴らしい。でも、体の痛みやストレスを我慢してまで行われるパフォーマンスを、「愛」ともてはやすのはちょっと違うのではないだろうか。

 おそらく来年も24時間テレビは放送される方向だろうし、「かわいそう」なタレント探しはすでに始まっているかもしれない。が、地球を救う前にタレントが倒れたら本末転倒である。さまざまにテクノロジーも進化している。愛よりAIのほうが、よほどテレビ局にとってもタレントにとってもありがたいものになるかもしれない。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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