「ルビ廃止」と「漢字制限」が日本語の豊かさを奪った――人気評論家が告発する「国語改革の大愚策」
「未曾有(みぞう)」を「みぞうゆう」、「云々(うんぬん)」を「でんでん」……政治家の言い間違いは枚挙にいとまがないが、なぜこのような「言語の貧困化」が進んでしまったのだろうか。
新刊『教養としての上級語彙2 日本語を豊かにするための270語』が話題の評論家・宮崎哲弥氏は、敗戦後にアメリカの圧力の下で行われた稚拙な国語改革に原因があると指摘する。
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――どうして日本語の貧困化が進んでしまったのでしょうか?
ひとつには家庭環境の問題が挙げられます。言語心理学者の今井むつみが指摘するように、言語能力の発達には育成環境が重要です。家族が普段本を読んでいると、子どもが自然と本を手に取るようになったり、家の蔵書を読んだりして、語彙力が自然に発達するのです。
――つまり親世代が本を読まなくなったから、子ども世代の語彙力も落ちたということでしょうか?
その通りなのですが、じつはそれ以上に大きな原因だと私が考えているのは、最近の本には「ルビ」が少なくなったということです。
――ルビ? ああ、漢字の「振り仮名」のことですね。
たとえ家庭に本があったとしても、漢字にルビが振ってないと、子どもには読めません。読み方がわからないと、親に意味を聞くのにもいちいち本を見せなければならず、また辞書を引くこともできません。
本をはじめ、新聞や雑誌、ウェブ上のテキストに出ている多くの漢字に振り仮名が添えてあれば、自然と読み方がわかり、そこから親に意味を聞いたり、辞書で語義を調べたりする手掛かりになります。
戦前はすべての漢字にルビが振ってある「総ルビ」の本も少なくなかったのですが、戦後になるとルビがあまり使われないようになります。
――なぜ戦後はルビが使われないようになったのでしょうか?
敗戦の翌年の1946年、GHQによって米国から「第1次アメリカ教育使節団」が派遣されました。そして、その報告書で、漢字の全廃、ローマ字の公用化が勧告されたのです。
今から考えれば、見当違いも甚だしいのですが、日本の軍国主義の一因が漢字の使用にあると捉えたのです。さらに、漢字に替えて、表記をローマ字にすれば、自分たちのような民主主義国になると考えました。
報告書には、漢字の習得が児童・生徒に過大な負担になっており、そのため初等教育を終えても「民主的公民」として十分な学問、教養が身に付いていないとある。「彼らは新聞や大衆雑誌のような一般的読み物」さえなかなか読解できない始末だ、とも書かれています。
――ルビどころか、漢字が廃止されてしまう危機だったのですね。
今のパソコンやスマホのように、簡単にカナから漢字に変換したりもできない時代です。象形文字を使用しないアメリカ人からしたら、膨大な数の漢字の読み書きは時間の無駄だと思えたのでしょう。
一方、アルファベットであれば、全部で26文字を覚えるだけで済みます、だから、漢字の代わりに「タイプライターなどの使用に簡便な」ローマ字を国字として採用すべし、と「第1次アメリカ教育使節団」は結論付けました。
その後、さすがに日本語のローマ字化、漢字の全廃は非現実的な策だとして斥けられましたが、漢字の使用を制限するために、「当用漢字表」なるものが告示されました。「法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会」で用いるべき漢字が1850字に制限されたのです。
――ルビの使用についても、制限されたのでしょうか?
注意事項として「この表の漢字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする」とあり、また「ふりがなは、原則として使わない」と振り仮名(ルビ、読み仮名)の不使用が明記されています。
こうして出版物や定期刊行物が、ルビなし、振り仮名なしで読み得る「易しい」言葉によって満たされていきます。その後、およそ80年の星霜(せいそう)を閲(けみ)して、語彙力の衰微(すいび)に拍車が掛かっていったのです。
――その象徴が元総理大臣の「みぞうゆう」、「でんでん」といった読み間違えなのですね。
欧米では、その人が属する階級によって使用する語彙も異なったりするのですが、それは今日の日本における言語表現の衰退状況には当て嵌(は)まりません。上下、貴賤の別を問わず語彙の貧困化が進んでいるからです。
せめて新聞が日本語を守る防波堤になってほしいところですが、じつは新聞は率先して日本語の貧困化に手を貸しています。その象徴が新聞で使われている「交ぜ書き」で、本来、漢字で表記すべき熟語の一部を仮名で書くことを指します。「破たん」「ら致」「はく奪」「ほう助」「石けん」などですね。
――うーん、かえって読みづらいような気がします。
さきほどの「当用漢字表」に加えて、1981年の「常用漢字表」(1945字)、2010年の「改定常用漢字表」(2136字)と、漢字表の漢字制限はその後、いくらか緩和されはしました。しかし、登載されない「表外漢字」は平仮名で書いてお茶を濁(にご)すという表記法は同じです。そもそも、たった2136字では私が取り上げる上級語彙どころか、日常的に使われる漢語すらカヴァーできません。
――『教養としての上級語彙2』を読むと、国語改革に対する宮崎さんの怒りが伝わってきますね。
国語「改革」どころか、「改悪」としか呼びようのない、天下の大愚策でしょう。「第1次アメリカ教育使節団」の押し付けによる馬鹿げた漢字制限とルビ規制の拘束から、日本語を解き放たなければなりません。来年で早くも戦後80年、本来の日本語が完全に失われてしまう前に、豊かな語彙を取り戻したいですね。