「実の母じゃないと聞かされた進次郎は…」 叔父が明かす小泉進次郎の知られざる素顔

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「レール」を敷く動きが……

 ただし、実際には大学時代、すでに政界に進む希望を持っていたようである。同時期、彼の前に「レール」が敷かれるかのような動きがあったのは偶然ではあるまい。

「進次郎さんが大学を卒業する前、関東学院大学文学部の教授から“うちの学生に総理の息子がいて……”と相談を受けたのです」

 そう語るのは、ホワイトハウス事情に精通する国際関係学研究所所長の天川由記子氏である。

「その教授に話を聞くと、“進次郎君がコロンビア大学大学院に行きたいと言い出した。ジェラルド・カーティス教授の下で政治学を学び、父の跡を継ぎたいと言っている”。ところが天下のコロンビア大学に行くには圧倒的に英語力が足りていなかったそうで、“推薦状を頼まれたんだけど、どうしたらいいか”という相談でした」

 天川氏は、当時ブッシュ(子)政権下で国家安全保障会議(NSC)の上級アジア部長兼大統領特別補佐官という要職にあったマイケル・グリーン氏に電話で相談した。すると、カーティス教授と親しいNSCアジア部長のビクター・チャ氏を紹介され、同氏からこうアドバイスされたという。進次郎氏の武器は“父の跡を継ぎ、首相になる可能性があること”で、“小論文や推薦状で彼が政治家になることを強調するように”――。天川氏が関東学院大の教授にその“秘策”を伝授したことが奏功したのか、進次郎氏は「条件付き」で無事に合格。その条件とは、TOEFLのスコアが600点に達するまでコロンビア大学内の語学講座で英語の授業を受けること、だった。

「10日ほどでこんなに成長するのか」

 こうして超難関大学への留学を果たした進次郎氏は猛勉強の末、2006年5月に政治学の修士号を取得。翌月にはワシントンにあるシンクタンク「戦略国際問題研究所」(CSIS)に就職した。学歴、経歴に箔をつけることに成功した進次郎氏は07年9月、純一郎氏の秘書に就任。父親の跡を継いで衆議院選挙に初出馬したのは、その約2年後のことだった。

「進次郎は最初、街頭演説でも何を言っているのか分かりませんでした。しかし、聞いていると日に日に演説が達者になっていくのが面白かったですね」

 そう振り返るのは、自民党神奈川県連の関係者だ。

「有名な話ですが、ポケットにICレコーダーを入れて自分の演説を録音し、後で聞き直して改善点を探していた。選挙戦の終盤には、前年にあった北京五輪にかけて“ウサイン・ボルトのように私も最後まで駆け抜けます”ということまで言えるようになっていた。10日ほどでこんなに成長するのかと驚きました」

 遊説先の方言や名産品をうまく話の中に取り入れ、聴衆を沸かせる進次郎氏の演説。その片鱗は最初の選挙の時にすでに現れていたのだ。

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