元ヤクザが告白「私は山口組四代目を暗殺後、39年間捕まらずに生き延びた男を知っています」「手首から足首までみっちりモンモンが入っていた」

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山口組系の組織に移り「あの男が後藤だった」と気づいた

 しばらくして懲役氏は山口組系列の組織に移った。そこで新しい仲間たちと会話をするうちに男が後藤だと知ったという。

「後藤さんの特徴、人間関係などについて聞いていくうちに色々な面で当てはまっていったのです」

 後藤は山口組にとっては“先代のタマを取った”憎き敵である。当初は知っていると口にできなかった。だが時を経て、後藤と同じ組織だった「一和会」からの帰参組には明かすようになったと語る。

「彼らの中には後藤さんのことをよく知っている人もいました。私が前に仕えていた組長の素性を知って、『だったら後藤さんのことも知っているだろう』と当ててくる人もいました」

 組長がどのような縁で後藤の逃亡生活を支えていたのかもわからずじまいだ。

「兄弟分と聞いていましたが本当に契りを交わしていたのかもわからない。もしかしたら上から頼まれてやっていただけなのかもしれません」

後藤はこれからどうやって暮らしていくのか

 懲役氏は40歳くらいの頃、堅気になった。それから10年くらい親の脛を齧りながら職を転々としたが、50歳になってから“元極道YouTuber”と名乗り配信活動を始めた。今では登録者数は49万人にまで増え、安定した暮らしをしている。

 後藤が生存していたことはヤクザ界のビッグニュースだ。懲役氏が気になるのは今後社会が彼をどう受け入れるかという点だという。

「時効は成立していますが、3人の人間を殺した罪までは消えません。山口組はどう動くのか。さすがに39年前の仇を取りに75歳の老人の命を獲りに行くことはないとは思いますが…」

 後藤の末路を見て思うのは、ヤクザを辞めてよかったということだ。

「私が18歳で稼業入りした頃はどこの組織でも命の獲り合いが当たり前に行われていた。私も拳銃を上着にしのばせていたことはありますし、入りたての粋がっていた頃ならば上に言われるまま誰かを殺しに行ったかもしれない。結局、その後私はもう一度4年間懲役に行くことになりました。人を殺めずとも10年間も塀の中で暮らしていたのです。最後は食えなくなって逃げ出すかっこの悪い辞め方でしたが、つくづく足を洗って良かったと思います」

 前編では39年ぶりに後藤の消息が伝えられる契機となった「名誉毀損事件」と、懲役氏が見た”不思議な客人”と組長との交流について伝えている。(文中、呼称略)

デイリー新潮編集部

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