元ヤクザが告白「私は山口組四代目を暗殺後、39年間捕まらずに生き延びた男を知っています」「手首から足首までみっちりモンモンが入っていた」
39年前に発生した山口組四代目・竹中正久射殺事件の容疑者で、唯一逃亡を続けていた男が長崎県で生存していたことがわかった。人気アウトロー系YouTuberの懲役太郎氏は「若い頃、男と一緒に旅行したことがある」と語る。(前後編の後編)
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【写真12枚】事件を伝える当時の「週刊新潮」と「FOCUS」の誌面。レトロな字体で「情報・備考・待ち伏せ・射殺 山口組ドンパチ劇の顛末」と伝えている
組長から「親子関係を装え」と言われ…
9月3日、長崎県警が後藤を知人男性に対する名誉毀損容疑で逮捕していたことが明らかになり、いま極道界は「伝説の逃亡犯が生存していた」と大騒ぎになっている。
前編【元ヤクザが告白「私は山口組四代目を暗殺後、39年間捕まらずに生き延びた男を知っています」「一泊2日の旅行もしました」】では、懲役氏が20代の頃に仕えていた山口組とは別組織の組長が “不思議な客人”と頻繁に会っていたところまでを伝えた。「その男こそが後藤栄治だった」と懲役氏は語る。
懲役氏は男と一泊二日のゴルフ旅行に出かけたことがあるという。
「一度目の懲役に行く前の21歳くらいの頃のことです。私の仕事は運転手として前日に彼をゴルフ場に前乗りさせることでした。静岡か三重だったと思うのですが、詳しい場所までは思い出せません。組長からは『親子関係を装え』と言われていました」(以下「」内は懲役氏の語り)
2時間くらいのドライブ中、言葉を交わした記憶はない。
「寡黙な人だったので何も喋らなかった。ヤクザの世界では目上の人に下の者から話しかけることはありません。私も黙ってハンドルを握り続けていました」
浴衣の着方を教えてくれた
宿に到着すると一緒にサウナに入った。男の体には手首から足首までみっちり“モンモン”が入っていたことを鮮明に覚えている。
「『背中を流しましょうか』と声をかけましたが、『いい』と彼は言いました。背は160センチくらいで体は小さいのですが、引き締まった体をしていました。風呂から出ると食事処で一緒に夕飯を食べた。『遠慮せずに飲みな』とビールを注いでくれましたが、ほとんど話はしませんでした」
唯一覚えている会話は部屋の中で交わしたやりとりだ。まだ若かった懲役氏は浴衣を着た経験がなかった。見よう見まねでまとったが、男は「違うだろ、帯はこうやって締めるんだ」と親切に教えてくれたという。
「彼との会話で覚えているのはそれくらいです。寡黙な人でしたが、優しかったですよ。私が気を遣って何かをしようとしても『何もしなくていい』と」
その後、懲役氏は務めを果たしに刑務所に行くことになる。1度目を終えて戻ってきた時、組長はまだ男と付き合っていたが、2度目の服役に行ってからはもう男と会うことはなかった。懲役氏が出所する1週間前に組長が何者かに射殺されてしまったからだ。
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