マクドナルドのトップに「値上げに踏み切った理由」を直撃 経済アナリスト・森永康平氏が“国民食”チェーンの内情に迫る

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「ハンバーガー」65円の時代

森永 人それぞれにお気に入りがあって、すっかり「国民食」として定着した感があります。

日色 日本にマクドナルドが上陸して、もう50年以上になりますからね。日本マクドナルドの創業者、藤田田(でん)さんが銀座に1号店をつくったのが1971年のことでした。

森永 まだハンバーガーという食べ物自体が知られていない時代ですね。

日色 当時、米国からは「1号店は郊外の茅ヶ崎で」と提案されていたようです。ところが、藤田さんは「日本の流行は銀座からつくられる」と押し切った。すると銀座の歩行者天国で、若者が立ったまま“見知らぬもの”を頬張る姿がテレビで放送され、一気にハンバーガーが市民権を獲得していったんです。

森永 狙いがぴったり当たったのですね。

日色 その後の歴史を少しお話しすると、80年代には朝マックが始まったり、「サンキューセット」が流行語大賞の「大衆賞」を取ったりと、人気は堅調に拡大していきました。90年代になると店舗数を大幅に増やし、96年に2000店舗、99年には3000店舗を突破しました。当時、スーパーの中や銀行の隣など、小さなお店がたくさんあったのを覚えている方も多いのではないでしょうか。

森永 あの頃、「ハンバーガー」1個が65円くらいでした。

日色 店舗が増えた一方で、バブル崩壊後のデフレで需給バランスが崩れつつあった中、円高によってディスカウントの余裕が生まれてきた。こうして大幅な値引き戦略を取ったわけです。

危機的状況からのV字回復

森永 今では考えられないような価格です。

日色 昨年、価格改定を行った際、「ついこの間まで65円だったものを170円にするとは」というご指摘もあったのですが、実は90年代半ばまでは200円以上していたんですよ。物価高といわれていながらも、30年前の価格よりもまだ安いんです。

森永 いかに日本の経済成長が滞っていたか、という側面が表れている気がします。

日色 とはいえ大幅な値下げと狭小店舗の大量展開が重なると、生まれるキャッシュが小さくなり、店舗への再投資もできなくなってくる。傷んだお店が増えたり、新しい機械を導入できなくなったりして、次第にマクドナルドというブランドの歯車が回らなくなってきていました。そんな中で2014年、食の安全・品質に関してお客様の信頼を損なってしまい、会社はかつてないほどの危機的状況に陥りました。

森永 そこからよくV字回復を果たされましたね。

日色 まさに私が社長に就いた2019年は、なんとか経営危機を脱し、ようやく未来を考えたビジネスを行えるまでに回復したところでした。ですから、これまでできなかった店舗やシステムに対する投資によって新たな成長を描くことこそ、私に与えられたミッションだったのです。

〈そんな日本マクドナルドHDは、23年12月期決算で、全店売上高は前期比8.4%増の7777億円、最終利益は26.2%増の251億円と、最高益を達成している。その背景にある、デジタルや人材への投資の実態や、注目を集めた値上げの理由と影響などについては、有料版の記事で詳述している〉

日色 保(ひいろ・たもつ)
日本マクドナルドホールディングス代表取締役社長兼CEO。1965年生まれ。愛知県出身。1988年にジョンソン・エンド・ジョンソンに入社。グループ会社社長などを経て2012年より日本法人社長。18年に執行役員として日本マクドナルドに入社し、19年より社長に。21年から現職。

森永康平(もりなが・こうへい)
経済アナリスト。1985年生まれ。埼玉県所沢市出身。証券会社などでアナリスト、ストラテジストとしての業務に従事。アジア各国で新規事業の立ち上げなどを経験し、金融教育ベンチャーの(株)マネネを創業。アマチュアでキックボクシングやMMA(総合格闘技)の試合にも出場中。横浜DeNAベイスターズファン。父は経済アナリストの森永卓郎氏。

デイリー新潮編集部

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