ゆかりの地に寄贈された「初期ナンバーの新紙幣」…なぜ佐賀県の「唐津」に? 東京商工会議所や津田塾大は納得だけど

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7AAを大切にしたい

 田中氏が続ける。

「また、辰野は渋沢個人の邸宅も設計しており、こうした仕事が辰野を育てたと渋沢は理解しております。なお、東京駅舎の赤レンガ・化粧タイルなどは深谷市で製造されたものであり、今回の新しい日本銀行券が発行された2024年7月3日、唐津市は日本銀行から7AAの寄贈を受け、深谷市は6AAです。このような状況から、私は唐津市と深谷市の行政間の交流を強く望む一人であります」

 田中氏は現在、両市の交流実現に向けて奔走する毎日だという。さまざまなアプローチを模索する中で、最も期待しているのは、ドトールコーヒーの名誉会長で深谷市出身の鳥羽博道氏に、この件について関心を持ってもらうこと。知人のつてを辿るなどして、鳥羽氏にアピールできないか探っているとのことだ。

 大河ドラマでもそうだが、地方ではこのように、何か歴史的な出来事などにその地方が関連するとわかると、それをきっかけとして地域活性化に取り組もうとする人々が登場する。もちろん、彼らの原動力は郷土愛だ。

 今後、唐津と深谷で何か渋沢・辰野関連のイベントが発生すれば両市の交流になることだろう。新札が地方創生・地方交流のきっかけにもなるだろう。

 また、田中氏は、現存する25の辰野の設計による建築物の関係者を一堂に唐津市に集め、シンポジウムを開けないかと夢想する。「若い番号の札が出た! いずれフリマサイトやオークションサイトで売ってやるか!」などと考えるのではなく、この7AAを大切にしたいと考えている。7AAを展示している辰野金吾記念館には観光客と地元の人が訪れ写真を撮影している。新札一枚でも、きちんと活用しさえすれば、このように立派な観光資源になり得るのである。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『よくも言ってくれたよな』。最新刊は『過剰反応な人たち』(新潮新書)。

デイリー新潮編集部

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