「俺は子どもの頃から大麻を育てていた」 ツアー引退を表明したロックスターのあまりに型破りな人生

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 世界的人気バンド、エアロスミスがツアー活動から引退することを発表した。もともと今回予定されていたのは「フェアウェル(さよなら)ツアー」だったのだが、結果的にはそのツアー自体を諦めざるを得なくなったのである。

 理由はヴォーカルのスティーヴン・タイラーの声帯の問題。これまで規格外のパフォーマンスを見せてきたスティーヴンの人生もまた規格外なものだった。その型破りな人生について、音楽ライターの神舘和典氏が振り返る。

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「女」「薬」「酒」

 世界的人気を誇るハードロックバンド、エアロスミスがツアー活動からの引退を表明した。理由はヴォーカル、スティーヴン・タイラー(76)の声帯損傷に回復の見込みがないからだという。

 この引退表明に悲しみのコメントを寄せた面々の顔ぶれは、そのままスティーヴンの存在の大きさを示している。クイーンのブライアン・メイ、ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュ等々。

 一方で、スティーヴンの独特のヴォーカル・スタイルを知るファンならば、ある程度納得できる選択かもしれない。極限まで声を出すシャウトは、どう考えても声帯を痛める。むしろこの年までよく持ったものだ、ともいえるだろう。

 さらに彼の不摂生なライフスタイルを考えると、そもそもこれまでよく生き延びてきたものだという感じもする。

 かつてはロックスターの多くが「女」「薬」に溺れた。

 ミック・ジャガーに憧れたスティーヴンも、もちろんその道を突き進んだ。スティーヴンとミックがほぼ同時期に同じ女性と付き合っていたことがある。その女性が出産した際に、真っ先に駆け付けたのはミックだった。

 結局、彼女は付き合っているなかでは一番真面目そうだったからか、もう一人の交際相手であるミュージシャン、トッド・ラングレンと結婚生活を送る。ただし、生まれた娘の父親はスティーヴンだった。娘はのちの女優、リヴ・タイラーである。

 このあたりの話は、うわさ話の類ではない。スティーヴン自ら、自伝で明かしていることだ。

 筆者は著書『不道徳ロック講座』を執筆するにあたり、欧米のロックスターたちの自伝や評伝を数多く読み込んだ。興味深いのは、彼らは「女」「薬」についての過去をまったく隠そうとしない点である。なお、以下、彼の型破りな人生についてご紹介するが、当然ながら筆者はこんなライフスタイルを推奨しているわけではない。普通の人はやめたほうがいいのは間違いない。彼らは特別というか異常な人たちなのだ。

大麻を栽培する少年

 スティーヴンの自伝の翻訳は2012年に発行されている(『スティーヴン・タイラー自伝』スティーヴン・タイラー著/デイヴィッド・ダルトン構成/田中武人、岩木貴子、ラリー・フラムソン訳/ヤマハミュージックメディア刊)。その特徴は、あけすけなうえに話が頻繁に前後する点だ。時系列順になっていない。展開が飛ぶ。

 日本語訳の奥付を見ると、翻訳者のほかに翻訳協力が8人もいて、作業の苦労がうかがえる。そして、その混乱の原因は、「薬」ではないか、と筆者は推察する。そのくらい、彼は薬に溺れ続けていた。

 そのドラッグ遍歴は極めて長い。

 スティーヴンは1948年にアメリカ、ニューヨークで生まれ、1970年にエアロスミスを結成。1973年に、アルバム『野獣生誕』でデビュー。

 最初はバーで知り合ったウエイターの助手にドラッグを勧められた。そのときは断ったものの、好奇心が刺激された。しかし、子どもなのでドラッグを買うお金はない。そこで、なんと大麻の栽培を始める。

 スティーヴンはニューヨークのブロンクスで生まれ育ったが、家族に見つからないように家から離れた場所にガールフレンドと種を蒔き、水を与えた。誰かに殺虫剤を撒かれてもめげずに育てた。

「余計なことしてくれるよな!(略)俺はめげずにせっせとハッパをちぎって吸ってハイになっていた」(『スティーヴン・タイラー自伝』より、以下同)

 彼は育てた大麻をたばこ状に巻いて母親にも勧めていた。日本人には理解できない母子関係だ。

 15歳あたりから60歳くらいまで、スティーヴンはキャリアのほとんどで、ラリッていた。スティーヴンが20歳前後のころ、ニューヨークのロングアイランドにキース・リチャーズとアニタ・パレンバーグが家を持っていた。そこで3人でコカインをやっていたことも自伝で語られている。

スタッフが次々消えていく

 エアロスミスが世界的人気バンドとなり、アルバム『ロックス』『ドロー・ザ・ライン』……とヒット作が続くと、スティーヴンはいよいよドラッグなしではいられなくなる。

「俺たちがロケットならコカインは燃料だった。結局は墜落するんだが、あれだけ頑張れた理由の一つはコカインだ」(同)

 彼らのライヴを観たことがある人はわかると思うが、スティーヴンは常にエキサイティングでエキセントリックで、ステージを駆け抜けるようなショーを展開する。

「俺たちは止まらなかった。とにかくツアーを駆け抜け、家に帰るとボロボロになってた。墜落して地面に落ち、脳は体に指令を送ろうとする。でも体は“非番”であることを分かっており、病気になることを選ぶ。バンドっていうのは、ツアー中は倒れない──それは許されないことなのだ」(同)

 世界中をまわる長いツアーを乗り切るためには、ドラッグの力だろうが、使えるものはなんでも使う。バンドのフロントマンのスティーヴンが突っ走り続けるので、スタッフたちはボロボロになっていく。

 1979年にはバンドのギタリストでソングライティングのパートナーでもあるジョー・ペリーとの関係も悪化。ジョーは去っていく。1984年に復帰するが、エアロスミスは約5年間片翼だけで飛ぶジェット機のような状態になった。

リハビリ、ツアー、リハビリ、ツアー……

 スティーヴンが憧れたミックはある時期からこうした悪い習慣から足を洗い、クリーンになっていった。

 ところが、スティーヴンはそれを見習わない。

 グッド・サマリタン・ホスピタル、ハゼルデン、イースト・ハウス、またイースト・ハウス、チット・チャット、シエラ・タスコン、ステップス、ラス・エンチナス、ベティー・フォード。これらは、1983年以降スティーヴン・タイラーが自伝で告白しているドラッグ依存症のリハビリのために入所した施設だ。これだけ入っているのだから、スティーヴンは自分がドラッグ依存症患者だという自覚はある。しかし、リハビリをしてはツアーに復帰、また施設に入り、また復帰をくり返した。

 ツアー中に、スタッフが精神科医を帯同させたこともある。しかし、成果は上がらなかった。

「彼らを救うことはできない。バンドは崩壊していて、直すことはできない」

 ドクターはそう言い残して去っていった。

 スティーヴンはリハビリで少しまともになっても、すぐにまた依存症に戻る。実のところバンドのメンバーもみんなドラッグ依存症なので、仲間からもらってまたやってしまう。

「だからみんな、みんながヤク断ちしないんなら、俺はバンドを抜けて、別のバンドを結成してエアロの名前を使うぜ」

 スティーヴンはメンバーたちに迫った。その結果、バンドに戻ってきていたジョー・ペリーもリハビリ施設に入る。しかしスティーヴンの依存症はその後何年も続き、ときにはライヴの途中でステージの端から転落し、中止になることもあった。
 
 原因が薬なのか酒なのかあるいは後遺症なのかは不明だが、近年になってもスティーヴンに関しては奇行めいた話が伝わってくることは珍しくなかった。

 それでもステージに上がれば、高いテンションでパフォーマンスを繰り広げて、ファンを必ず喜ばせ、満足させていたのだ。来日公演は2017年のソロツアーが最後となるのだろう。しかし、ここまで生き延びてきたことが奇跡なのだとすれば、さらなる奇跡が彼の身に起きることを期待したい気もする。

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