「“二号さん”でもいいと言われ…」28歳年下のバイト女子を囲うアラフィフ夫 「もうじき身を引く」という発言の真偽はいかに

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【前後編の後編/前編を読む】僕と妹を捨て、男の元へ走った母は「元気にしてた?」とヘラヘラ… 涙がこぼれた“12年ぶりの再会“で残していったモノ

 尾崎孝紀さん(52歳・仮名=以下同)は、2年前から28歳年下の女性に住まいと生活費を提供している。彼の母は中学生の時に不倫のすえ出奔。父は男手ひとつで孝紀さんと妹を育ててくれたという。大学生時代、母は一度連絡を寄こしてきたものの「元気にしてた?」と悪びれる様子はなし。正式に再会したのは孝紀さんが26歳の時だった。精神を病み、仕事を辞めて引きこもりがちになってきた彼の元をおとずれた母は、食事の支度をし、封筒に入れた20万円を置いて去っていった。

 ***

 うれしくはない。むしろ悔しかったと、母との再会を語る孝紀さんだが、翌日から職探しに出かけた。お金は底をついていた。母からの20万円は「悔しいから使わない」と決めた。とにかく、生きるために働かなければならなかった。

「どうしようもない日々を送っていましたが、不思議と死にたいとは思ってなかったんです。今は、あの特別休暇は自分に必要だったんだと思う。あそこで人生をリセットできたような気もしています。というか、そう考えないとやってられないので」

 職にこだわりはなかった。体を動かして働きたいと思ったので、学生時代にアルバイトをしていた居酒屋に連絡をしてみた。店長が電話を受けてくれ、「うちは個人店で不安定だから、大手チェーンを紹介するよ」と言ってくれた。

「それで飲食関係の大手グループ本部に採用されたんです。でも最初は店を知るところからやらせてほしいと自分から頼んで、3年くらいはあちこちの店で接客を担当しました。実は僕、そっちの仕事のほうが合ってるのかもしれない。楽しかったですよ」

 いくつかの店では店長も経験した。同僚やお客さんとも仲よくなった。業績より心地いい職場を目指したら、いつしか業績も上がっていた。本部に戻ったのは30代に入ってからだ。それでもなるべく店と接触をもつ部署を希望した。

「客商売って、生きている感じがして好きなんです。しかも飲食は、基本的に人が楽しんだり人間関係を構築したりする場。お客さんを静かに密かに盛り上げるのが僕らの仕事なのかなと思って。甘いと言われることもありますけどね。気分よく働かないと、僕が以前陥ったような精神的苦痛に見舞われる。お客さんも大事だけど、働いている人たちも大事なんですよ」

僕も妻も「人に期待しない」

 仕事には全力を傾けたが、彼はきちんと休みもとった。休日は近所の雀荘や囲碁道場に足を運んだ。純粋にゲームとして競う楽しさを追求し、仲間と一杯やって気持ちをリセットしていた。

「その雀荘で知り合ったのが美冬です。3歳年下なんですが、麻雀が強くて目立っていました。性格も豪放磊落というのか……女性に使う言葉じゃないかもしれませんが」

 美冬さんも孝紀さんが気になったのか、あるときからぐいぐい押してくるようになった。根負けするような形で一緒に飲んだりしているうちに男女の関係になり、彼女はあっという間に妊娠した。

「つきあったのは2、3ヶ月じゃないですかね。妊娠したと聞いて、じゃあ、結婚しようと。僕が35歳になるところでした。彼女は臨月まで、仕事をしながら休日は麻雀をしていましたよ」

 娘が産まれ、共働きで育てた。妻に多くを期待していなかったが、妻もまた彼に多くを期待していなかったようだ。だからこそうまくいったと彼は言う。

「最初の会社でつまずいてから、僕は人に期待しなくなったんです。美冬は、バリバリ働くタイプだったけど、やはり人には期待していなかった。一緒に暮らすようになってから、人生のプロセスは異なっているけど、行き着いた境地が似てるなとよく思っていました。淡々としつつも、妙に楽天的な家庭になっていくのがおもしろかった」

 娘は子どものころからダジャレを飛ばすような子で、それでいて現実的なところもあった。小学校低学年のとき、クラスでからかわれる子がいると話し、冷静な口調で「先生はからかってるだけって言ったけど、あれはいじめと同じだと思う」とつぶやいた。孝紀さんは担任に話をし、からかわれている子からきちんと言い分を聞いてほしいと掛け合った。

「そこからいろいろありましたが、結局は、娘の発言に始まって、クラスは穏やかになったそうです。娘に偉いねと言ったら、『当たり前のことを言っただけ。パパが本気で聞いてくれてうれしかった』と。涙が出そうになりました」

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