僕と妹を捨て、男の元へ走った母は「元気にしてた?」とヘラヘラ… 涙がこぼれた“12年ぶりの再会“で残していったモノ

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実家に帰ると“見知らぬ女性”が…

 大学受験のとき、父は「東京に出ろ」と言った。お金も大変だし、家のこともあるしと言いかけた彼に、「自由に生きないとあとで後悔する」と父は言った。その言葉を受けて彼は東京の大学に進学した。妹は手に職をつけるため美容師の道へ進んだ。

「急にひとりきりになった父を心配したんですが、父は大丈夫だからと言い張っていた。僕は東京で就職、妹は専門学校を出ると、関西のほうの店に就職しました。就職後、たまたま平日に休みがとれたので、ふと実家を訪ねてみたんです。昼間は父が出勤していないだろうから、夕飯でも作っておこうかと思って。すると見知らぬ女性が家を掃除していました。驚いていると、彼女のほうから『孝紀さん?』って。家の中はきれいに片付いていたし、女性ものの洋服なんかもその辺にぶら下がっている。遊びに来た人とは思えなかった」

 彼女は悪びれた様子もなく、「私、あなたのおとうさんとおつきあいさせてもらっているの」と言った。本音を言えば「ショックだった」と孝紀さんは言う。父は母に見捨てられ、子どもたちにも巣立たれて、たったひとりでがんばっていると思っていたのだ。ちゃっかり女性と一緒に住んでいたとは。

「そう思ったあと、父は早くひとりになってこの人と一緒に暮らしたかったのかもしれないと感じました。でも父には父の人生があるわけだし、僕らを大きくしてくれたんだから、もうそれでよしとしよう。そう思うしかありませんでした」

 また来ますと言って、彼は実家を辞した。彼女が後ろで何か叫んでいたが、走ってその場を去った。その晩、父から連絡があった。彼は淡々と「今までありがとう。おとうさんも幸せになって」と言って電話を切った。

「まだ若かったんですね、僕も。釈然としない思いはあったけど、親の人生を縛るわけにはいかないから、必死で大人としてふるまった」

久しぶりの母との会話に「怒る気力が失せました」

 その後、“出奔”していた母から連絡があった。父に孝紀さんの連絡先を聞いたらしい。父は母ともつながっていたのかと孝紀さんは唖然とした。

「それまでも母から父へは、たまに連絡があったそうです。母も面の皮が厚い。勝手に家出したくせに僕らのことが気になっていたとか。僕が直接、母と話したのは中学生以来。母は『元気にしてた?』って。よくそんなことが言えるな、僕らを捨てたくせにと言ったら、なぜか母はヘラヘラして『ほんとうにごめんね。後悔してるわよ』と。怒る気力が失せました。なんだかんだ言って、そんな母ともつながっていた父のこともよくわからなくなった」

 夫婦のことは子どもでさえわからないものなのだろう。父と母が、どういう気持ちでいたのか、今でも孝紀さんは理解できないとつぶやいた。

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