「西武」歴史的低迷に「勝率3割台はフロントの責任」…元「ヤクルト主砲」が明かすライオンズの黄金期「投手も打者も完璧で圧倒された記憶しかない」

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打ちのめされたヤクルト

「ところが90年のシリーズで巨人は西武に1勝もできず敗れました。これには強烈な印象を受けました。ヤクルトがセ・リーグを制覇したときも、西武は圧倒的に格上のチームであり、まさに“胸を借りる”日本シリーズになると選手は誰もが覚悟していたと思います。それでも実際に対戦すると、想像していた以上に強かった。とにかく隙がない。つけ込めるところが全くないんです」(同・広澤氏)

 3勝4敗でヤクルトは負けた。接戦と言っていいはずなのだが、広澤氏は「3勝しても西武に圧倒された印象しか残りませんでした」と振り返る。

「西武は投手も打者も、そして守備も完璧で、『こんな強いチームにどうやったら勝てるんだろう?』と不思議で仕方がありませんでした。ヤクルトの選手は誰もが西武の強さに打ちのめされていましたが、たった一人、野村監督だけがシリーズを通して常に勝つ気満々だったんです(笑)。『どうやったら、あの西武に勝てるって思えるんだろう?』、『野村監督って本当にメンタル強いよな』とみんなで話していたことを今でも覚えています」

 92年の日本シリーズで西武に敗れた――。ここでヤクルトに変化が生まれる。選手たちが自分たちの手で“意識改革”を進めていったのだ。

勝っても強かった西武

「西武の圧倒的な強さを目の当たりにして、『西武に勝つには、セ・リーグの試合でまごまごしているようじゃダメだぞ』と誰もが気づいたんです。巨人と広島がライバルのままでは西武には勝てない。自分たちが桁違いのレベルアップを果たす必要があると心の底から実感し、チームが“打倒西武”で団結したのです」(同・広澤氏)

 選手たちが意識改革を果たしたヤクルトは強かった。1993年のセ・リーグはヤクルトが2位の中日に7ゲーム、3位の巨人には16ゲームの大差をつけて優勝。セ・リーグのMVPと最多安打は古田敦也氏、最優秀新人賞は伊藤智仁氏、打点王は広澤氏が獲得した。

 打倒西武を誓って再戦した日本シリーズはヤクルトの4勝3敗でリベンジを果たした。だが、やはり西武は強かったという。

「負けたときに相手チームが強く思えるのは当たり前ですが、西武の場合は自分たちが勝っても強いという印象が残りました。また変な話ですけれど、西武に優勝した後のオフは大変なことになったんです。テレビの出演依頼が殺到し、お酒の席への誘いも桁違いで、これも強い西武に勝ったからだと実感しました。少し遊びすぎてしまい、翌年のシーズンに差し障りが出たほどです(笑)」(同・広澤氏)

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