本当は「キン肉マン」としてリングに立つはずだった…伝説のマスクマン「ストロング・マシン」誕生秘話

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「マシンのまま死にたい」

 マシン=平田淳嗣は、もともと、先日も来日したドリー・ファンクJr.の大ファンだった本格派。プロレスラーを目指し、腕立て伏せやスクワット数千回という猛練習を重ね、山本小鉄に新日入門を直談判している。その後、個人テストのチャンスを得たが、いざ、上体を湾曲させての腕立て30回とジャンピングスクワット50回をおこなったところ、小鉄は、「やめろ」とテストをストップした。その顔は微笑んでいた。

「もう、お前、合格にしたから」

 鬼軍曹にこう言わしめるほど、鍛え込んでいたわけである。若手時代のライバルはあの前田日明だった。前田のハイキックで、平田の下唇の一部が飛んだこともあれば、平田のドロップキックで、前田の前歯がリング上に散らばったこともあり、前座の名勝負と称された。しかし、海外修業の話から、運命は暗転する。平田はペソが大暴落し、日本人選手が次々と帰国していたメキシコ行きを命じられたのだ。欠員補充を思わせる扱いに加え、もともとヘビー級である平田は、軽量級の選手が多いメキシコではパッとせず。ようやくヘビー級選手主体のカナダのカルガリーに転戦するも、帰国指令が出て言われたのが、「キン肉マンになれ」だった。杜撰な処方でそれが消えたのは上述の通りだ。

 結局、1985年8月に新日本プロレスを離脱し、ヒロ斎藤、高野俊二と個人プロダクション「カルガリーハリケーンズ」を結成。全日本リングに上がろうとするも、新日本プロレスから「契約が来年4月まで残っている」とされ、トラブルを何より嫌うジャイアント馬場率いる全日本プロレスにはそれまで上がれず。長州力率いるジャパンプロレスの独立興行や、ファンの集いで糊口を凌いだ。

 当時は珍しかった、プロレスグッズ専門店「レッスル」に、マシンをデザインしたグッズが多かったのもこのせいだった。大手団体の縛りなく、自由に自分たちのグッズが作れるため、創業して間もない同店に協力を惜しまなかった。関係者の間では有名だが、平田本人は大の子ども好きで、この時期には臨海学校企画までおこなっている。マシンのマスク姿のまま現れると、子どもたちは大いに喜んだという。

 1987年、新日本に戻っても、結局、マシンとしては反主流派を貫いた。ブロンド・アウトローズ、そして、レイジング・スタッフ……。今世紀に入っても、星野勘太郎率いる魔界倶楽部の1号を務め、後年は、永田裕志率いる青義軍の参謀も務めた。マシンは語る。

〈ゴタゴタしたなかであっても、そこに常に自分は加われた。(中略)そこに絶対ストロング・マシンはいるわけです。それは良かったなと。どんな場所に行っても試合が出来るのが、マシンというレスラーの力量ですよ〉(「週刊プレイボーイ」2018年6月25日号より)

 気がつくと、他にも、マシンのマスクをつける選手たちが増えていた。安生洋二がつけた「200%マシン」(高山善廣も着用)、PRIDEでホイス・グレイシーと戦った時の桜庭和志(入場時)、他にも後藤達俊、グラン浜田、杉浦貴、青木篤志etc。変わったところでは山本小鉄も、永田裕志、中西学、藤田和之、ケンドー・カシンの『チームJAPAN』の先導役として着用したことがあった。

 思い返せば、あのアンドレ・ザ・ジャイアントやマスクド・スーパースターが被り、「ジャイアント・マシン」「スーパー・マシン」となったこともあるし、WWF(現WWE)でハルク・ホーガンが着けたことも(しかもマシンマスクの上から、黄色いバンダナを巻いていた)。デザイン上、目も口もすっぽり隠され、表情を見えなくする優位点もあるだろうが、それだけではない。先に挙げた選手たちを見て欲しい。いずれも名うての実力者たちだ。マシンが“弱い”選手なら、彼らはこのマスクを被りたがっただろうか? 答えは否だろう。マシンの言葉の続きを、記しておきたい。

〈中途半端なやつにはマシンのマスクを被る資格はない〉(前出誌より)

 そして、筆者とのインタビュー時には、こんな風にも口にしていた。

「マシンのまま、引退したい。だって俺は、マシンだから」

 2010年3月14日、NOAHのリングでマシン、ダイナミック・マシン2号、ストロング・マシーン・ジュニアvs秋山準、小川良成、井上雅央が開催。ジュニアが青木篤志を、2号が高山善廣を思わせる動きを見せ、快勝後、マシンは、パートナー2人に問うた。
「あんた、誰?」「お前、誰?」そして、返す刀で、言った。

「俺は、平田じゃねーよ」(※場内は大ウケ)

 マシンは、2018年、引退。だが、現在もマシンを名乗る選手がリングで活躍している。その名は、ストロングマシーン・J。子煩悩で知られた。マシンの実の息子である。デビューした2019年、プロレス大賞の新人賞も獲得した俊英は、希代のメカ・レスラーを継ぐ喜びを、こう述べている。

「機械に生まれて良かった」と。

瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。9月10日に最新刊「プロレス発掘秘史」(宝島社)を上梓予定。

デイリー新潮編集部

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