本当は「キン肉マン」としてリングに立つはずだった…伝説のマスクマン「ストロング・マシン」誕生秘話

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キン肉マンになれなかった男

 国民的人気マンガ「キン肉マン」が、今年、連載45周年を迎えた。4月に静岡で常設のミュージアムがオープンし、7月にはアニメの新シリーズが開始。8月には過去最大規模の原画展も開催されるなど、その人気は衰えを知らない。

 実はプロレス界にも覆面レスラーの「キン肉マン」が誕生する青写真があった。そのマスクをかぶる予定だったのが、スーパー・ストロング・マシンである。1984年8月のデビューより、40周年のメモリアル・イヤーを迎えた。本人は2018年に引退しているが、そのマスクデザインの継承を含め、フォロワーの中でマシンイズムは生き続けている。

 今回は、そんなキン肉マンになれなかった男の人生を辿りたい。

 1984年当時の「キン肉マン」の人気は、まさに天井知らず。前年4月より、日本テレビでアニメが放送開始されると、毎週日曜朝10時という放送枠ながら、視聴率は20%超え(21.3%。1984年7月8日)。キャラクターたちをかたどったキン肉マン消しゴム、通称“キン消し”は、バンダイから発売された正規の3個入り100円のガチャガチャ仕様のものだけでも、売上は7000万個を突破した。翌1985年5月に公示された高額納税者番付では、作者の2人組“ゆでたまご”こと、嶋田隆司と中井義則が漫画家部門の1位、2位を独占した(3位は高橋陽一、4位は高橋留美子)。

 まさに日本中を席捲するブームだった「キン肉マン」に目をつけたのが、大胆かつ柔軟な発想を持つアントニオ猪木だった。

〈キン肉マンをリングに上げたいという話を持ち込んで来たのも猪木だった〉(『生たまご ゆでたまごのキン肉マン青春録』より)

 この噂は業界を駆け巡り、8月11日発売の「週刊ファイト」には、以下の見出しが大々的に踊った。

〈新日が密造 キンニクマン 今秋の登場 すでに決定〉

 実際、次のシリーズ開幕戦の試合の合間に、謎のマネージャーとマスクマンが乱入する(8月24日。後楽園ホール)。しかも、マネージャーである将軍KYワカマツは、“キン消し”を客席に向かって投げていた。だが、当のマスクマンは青いニット帽を被っており、そのデザインがわからなかった。以降、断続的にこの2人は新日本プロレスに乱入したものの、ニット帽の目だしの部分からのぞく色は毎回違っていた。そして1週間後の8月31日、遂にマスクマンは、ニット帽をリング上で脱いだのである。

 現れたのは、キン肉マンとは似ても似つかぬ、両目がメッシュ地で隠され、口角の上がったマスクだった。

〈ボクたちは断った。どうせ出すなら、大好きな馬場の全日本のほうがいいと思っていたからだ〉(前掲書より)

「ストロングなマシンだ!」

 ゆでたまごの2人は、猪木派でなく、馬場派だったのである。もとより、日本テレビで放映している「キン肉マン」が、テレビ朝日の「ワールドプロレスリング」に出られるわけもない。無謀な企画であり、前出の見出しを借りれば、文字通り密造だったのだ。

 両目が隠され、口角の上がったマスクマンは、試合後、報道陣の質問を受ける。

「ところで、名前は?」

 沈黙が訪れた。そもそもキン肉マンになる予定だったため、当人たちも、この代役の名前を考えていなかったのである。ワカマツマネージャーが機転を利かせ、叫んだ。

「名前はない。何故なら、これは、ストロングなマシンだからだ!」

 呼応して、マスクマンも声というか、音を出した。

「……ぐぐ……。ガガガガガ……」(※機械音)

 翌日、新聞にはこう載っていた。

〈マスクマンの名は、ストロング・マシン〉

 こうして、ストロング・マシンが誕生したのだった。

 翌週の放送では、同じマスクマンがもう1人現れ、2人に増殖した。元のストロング・マシンは、便宜上、「ストロング・マシン1号」となり、2号と2人でリング下でクルクル回り、どちらがどちらかわからない入れ替わり殺法を駆使した。そのうち、同じマスクマンが3人、4人と増えて行く。実況の古舘伊知郎アナウンサーが叫ぶ。

「闘う金太郎アメ軍団!」

「芋づる式マスクマン軍団!」

 それは、この時点でおそらく世界初であった、口だけでなく、目まですっぽり隠してしまうという、斬新なマスクの賜物でもあった。だが、それは逆に匿名性、無個性の象徴ともされた。前後するが、全日本プロレスのリングに上がった際、解説のジャイアント馬場が、マシンをこう評した。

「何でも出来るレスラーなんだけど、これと言った個性がない」。

 そのマシンに名前が与えられる時が来た。1985年5月17日、テレビ生中継の試合で、マイクを持った藤波辰爾が、マシンにこう言ったのだ。

「平田(淳嗣)だろ、お前!」

 プロレスにおける最大の禁句である、マスクマンの正体ばらし。プロレス史でも1、2を争う迷言である「平田だろ、お前!」が生まれた瞬間だった。両者にインタビューした際に聞いたこの時の感想はこうだ。

「『なに言い出すんだ、この人?』と。頭、大丈夫なのかと。思わず後ろ受け身を取りそうになってしまいましたよ」(マシン)

「あの時はねえ、リングに上がってマイクを持ったはいいんだけど、喋ることを考えてなかったんですよね。生中継の試合だし、頭の中が真っ白になって……。それで、思わず言ってしまったんですね」(藤波)

 想像し得る中で最悪に近いチョイスだった気もするが、翌日の後楽園ホール大会では藤波と組んだ猪木までマイクで、「お前は平田だー!」と叫び出す始末。悪ノリもいいところだが、実はこの時期、マシンは仲間割れを契機に前述のマシン軍団から離れて1人で戦っており、ファンの支持を得ていた。

「『マシンは知名度も出て来たし、そろそろ新日本の本隊に戻そう』という狙いを感じたんですね。自分としては、そこまでいいように利用されてたまるか、という感じでした」(マシン)

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