「昭和歌謡」が発展したのは「進駐軍」がいたから…「月はどっちに出ている」の劇作家・鄭義信が描く戦時下の“家族の物語”

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22年に劇団「ヒトハダ」

――物語の中では、戦時中でも明るさを失わずに前を向いている家族が印象的です。

 終わることのない戦争の中で、家族たちは次の土地を求めて移っていきます。そこでも、「人生はまだまだ続くぞ」と。世界の状況がどうであれ、生きていかなければならないという思いが伝わればいいかなと思っています。

――今回の公演を行う劇団「ヒトハダ」は、鄭さんらが22年に立ち上げた劇団です。今回が2回目の公演となりますが、劇団を立ち上げたきっかけを教えてください。

 なんとなく始めた感じです(笑)。最初から劇団を作ろうという気持ちは全然なくて……。僕自身も以前は劇団に所属していましたが、辞めました。でも、ヒロ(尾上寛之)や浅野(雅博)君が中心になって、いつの間にか劇団を作ろうという話になり、いつの間にか巻き込まれ、いつの間にか参加することになりました(笑)。

――劇団としてのテーマや方向性はありますか。

 劇団のテーマというのは、今現在は全然ありません。自分たちの好きな人と好きなことを一緒にやろう、という感じの劇団です。

――今回の公演も好きなことをやっている感じですか。

 僕自身が、日本の芸能史が面白いなと思っていて、それを書きました。

――なぜ、日本の芸能史を取り上げるのでしょうか。

 日本の昭和歌謡が大きく発展したのは、進駐軍がいたからなんです。それは韓国も同様で、そこでポップスに触れて発展してきた歴史がある。そのルーツや、なぜ人々がそれを求め、そこに熱狂していったのかという、“情熱の方向”に非常に興味があります。そこに日本人の日本人的な精神のありようがある気がして、追究していきたいと思っています。

――改めて、今回の公演はどのような人に観てもらいたいですか。

 戦争を知らない若い世代の人たちに観てもらいたいですね。僕ら世代でも、戦争を直接体験しているわけでもないので、観に来てもらってもう一度、戦争というものを考えてもらえればいいなと思っています。

 インタビュー後編では、劇団「ヒトハダ」を立ち上げた経緯などを語る。

鄭義信
1957年7月11日生まれ。兵庫県出身。 1993年に「ザ・寺山」で第38回岸田國士戯曲賞を受賞。その一方、映画に進出して、同年、「月はどっちに出ている」の脚本で、毎日映画コンクール脚本賞、キネマ旬報脚本賞などを受賞。1998年には、「愛を乞うひと」でキネマ旬報脚本賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第一回菊島隆三賞、アジア太平洋映画祭最優秀脚本賞など数々の賞を受賞した。2008年には「焼肉ドラゴン」で第8回朝日舞台芸術賞グランプリ、第12回鶴屋南北戯曲賞、第16回読売演劇大賞大賞・最優秀作品賞、第59回芸術選奨文部科学大臣賞、韓国演劇評論家協会の選ぶ2008年今年の演劇ベスト3、韓国演劇協会が選ぶ今年の演劇ベスト7など数々の演劇賞を総なめにした。
2014年春の紫綬褒章受章。近年の主な作品に「泣くロミオと怒るジュリエット」(2020・作・演出)、舞台「パラサイト」(2023・台本・演出)、「欲望という名の電車」(2024・演出)、音楽劇「A BETTER TOMORROW -男たちの挽歌-」(2024・脚本・演出)など。また、2022年に自身の劇団「ヒトハダ」を立ち上げ旗揚げ公演「僕は歌う、青空とコーラと君のために」(2022・作・演出)を上演。

デイリー新潮編集部

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