破壊し尽くされた街に屹立する「大阪城」は“最大級の美”だった 横尾忠則の脳裏に焼き付いた戦後の風景
前回の戦争体験に続いて、今回は終戦後のヤミ市の話でもと思う。
僕の育った町は兵庫県。播州織という織物の産地として戦後はかなり繁栄した。「ガチャ!」と織機の音がしただけで、万というお金が転がり込むことから「ガチャ万景気」と呼ばれていました。町は1万人近くもいた地方からの出稼ぎの女工さんであふれ、小さい町の商店街にはいつもお白いの匂いがしていました。
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と、こんな景気の良くなる前の終戦直後は、町の織物を大阪や神戸のヤミ市に売りにいったり、物々交換によってやっと生活をしていたという、そんな時代です。母は身体に反物を巻いて、商品をカムフラージュ、僕はカバンの底に米を敷いて、その上に教科書を並べて、親子で闇商人のようなことをやっていました。
大阪の鶴橋にはヤミ市が密集しており、バラック小屋が列をなして並んでいました。道路には戸板やムシロが敷かれ、その上には盗品などが並んでいたのです。
ヤミ市の周辺は焼け野原です。そんなヤミ市には復員兵やアメリカ兵、彼らにまといつくパンパン娘。ヤミ市のオーナーは、ヤクザか朝鮮人。混沌とした秩序もへったくれもないカオス地帯に織物や米を持っていって、金の指輪や時計と交換して、それを現金化して日帰りで家に戻るのです。
こんな猥雑な、町とは言えないバラック小屋群は、妙に華やいで、どこからともなく笠置シヅ子の「買物ブギー」の歌が壊れかけた蓄音機から悲鳴を上げながら聞こえてくる。何んとも猥雑なエネルギーに半ば翻弄されながら、敗戦国の戦後を全身に感じとっていたように思います。
梅田から鶴橋へ向かう満員の省線電車から眺む大阪の街は、大半が焼け跡風景で、所々に焼け残こったビルの壁だけが立っている。あとは電柱と、地を這うよじれた電線がやたらと目立っていたり、焼け焦げた樹木と、工場跡をしのばせる無数の煙突が立っていました。そんな焼け跡を走りまくっている道路。何の用か、どこに行くのか大勢の人が右往左往している姿が、今も動画を見るように瞼(まぶた)の裏に浮かびます。
砲兵工廠跡には錆びた赤い鉄骨がグニャグニャになって、まるで恐竜の死骸のようにもだえていて、広大な空き地は背の丈ほどもあるペンペン草で覆われていました。
そして印象的だったのは、ストーンと遠くまで見渡せる焼け跡の彼方に、空襲から見離されたようにスックと立つ建造物がそびえていたことです。ほぼ全ての昭和の建造物は廃墟化されているのに、そこだけが歴史の外側に存在しているのです。
あらゆる近代的建造物は破壊されたにもかかわらず、たった一ケ所、まるで何事もなかったかのように、煌めきを放つものが僕の目に飛び込んできました。桃山文化の象徴、豊臣秀吉による封建体制のシンボルでもある大阪城の天守閣。唯一、それだけが、生駒山を背景に屹立していたのです。青緑色の屋根瓦が、辺り一面こげ茶色の焼け野原の中に輝いて、美しく見えました。
城郭を囲む樹木は焼けただれているというのに、この城郭だけは破壊を免れ、生命の息吹さえ感じさせていたのです。周囲が拓けたことで、以前よりもむしろその存在感が増したのでしょう。本来は平面的な絵画のように見えるはずの城だけは立体的に浮き上がり、3D映画のように、まるでスクリーンから飛び出して僕に迫ってくるかのようでした。
米軍は占領後の記念物にするため破壊しなかったのか。これはずいぶんと時間が経ってから知ったのですが、城は数発の爆弾攻撃を受けていたそうです。しかし、戦勝を確実なものとした米軍は、あえて残したのでしょうか。大阪の街が破壊しつくされた時点で、日本は完全に負ける。それを日本の軍部は想定していなかった。その鈍感さに、ただ国民だけが、命からがら振り廻されていたわけです。
今でもあの光景は、僕の脳裏に焼きついています。まるでハリウッド映画のパニックシーンのラストを飾る、美しいシーン。それは廃墟の中の楽園という表現では足りない聖域。本当に神々しく輝いていたのです。
これこそが本当の美の世界。廃墟に囲まれても染まることなく、むしろそれまで以上に光を放つ。真の美しい姿を初めて見せたといえるでしょう。
いまだかつて見たことのない最大級の美が、あの日、焼け跡風景の中に屹立していた大阪城です。この破壊と創造によって誕生した美的価値は、本当に国宝級、あるいは世界遺産に値するのではないだろうか。
僕は今になって大阪城周辺の焼け跡風景も、そのまま残すべきであったと思うのです。戦争に向かって突き進み、そして敗戦を迎えた我が国の象徴として、焼け跡に囲まれた大阪城を。
あの日あの場所で見た美しさこそ、戦争反対のプロパガンダとして最高の芸術作品になったのではないかと、僕は一人で妄想しているのです。