破壊し尽くされた街に屹立する「大阪城」は“最大級の美”だった 横尾忠則の脳裏に焼き付いた戦後の風景

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 前回の戦争体験に続いて、今回は終戦後のヤミ市の話でもと思う。

 僕の育った町は兵庫県。播州織という織物の産地として戦後はかなり繁栄した。「ガチャ!」と織機の音がしただけで、万というお金が転がり込むことから「ガチャ万景気」と呼ばれていました。町は1万人近くもいた地方からの出稼ぎの女工さんであふれ、小さい町の商店街にはいつもお白いの匂いがしていました。

 と、こんな景気の良くなる前の終戦直後は、町の織物を大阪や神戸のヤミ市に売りにいったり、物々交換によってやっと生活をしていたという、そんな時代です。...

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