甘いマスクと勇猛果敢なファイトで女性ファンを魅了…テリー・ファンクが「日本人に最も愛されたレスラー」になった“流血の一戦”

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 朝日新聞の編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今週はプロレスラーのテリー・ファンク(1944~2023)を取り上げます。流血しながらも左ジャブからストレートを放つファイトスタイルで、兄のドリー・ファンク・ジュニア(83)と共に絶大な人気を誇りました。突然の訃報から1年が経ちましたが、小泉さんには忘れられない思い出があるようです。

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「日本人に最も愛されたレスラー」

 極論かも知れないが、人間はプロレスが好きな人と嫌いな人の二つに大別できると思う。後者は「しょせん、八百長。あらかじめつくられた筋書きにのっとって闘っているに過ぎない」という持論を曲げない。そこには、プロレスの存在そのものを頭ごなしに否定する頑迷な姿勢さえうかがええる。

「そう最初から否定しなくてもいいじゃない。楽しんでみようよ」

 やんわりそう言っても、こちらの話には決して耳を傾けないに違いない。

「日本プロレスの父」である力道山先生(1924~1963)――あえて先生と呼ぶ――が亡くなる2年前の1961年に生まれた私は、バッタバッタと空手チョップで外国人レスラーをなぎ倒した先生の雄姿をリアルタイムで見た記憶がない。物心ついたときは、ジャイアント馬場(1938~1999)でありアントニオ猪木(1943~2022)のファイトに声援を送っていた。幸いなことに、私の実家があった神奈川県川崎市川崎区には市民体育館があり、そこでプロレスの試合が幾度となく開催されていた。

 馬場が率いる全日本プロレスは、華麗な外国人レスラーが繰り広げるファイトが、毎週、テレビ中継でも楽しめるとあって楽しみだった。

 ファンにとって心躍ったのは、1977年に行われた世界オープンタッグ選手権。「世界で一番強いタッグチームを決める」と銘打って企画された。

 同年12月15日、東京・蔵前国技館で開かれた伝説の最終戦。テリー・ファンクが兄ドリー・ファンク・ジュニアとタッグを組んで闘った相手は「地上最悪」と呼ばれたアブドーラ・ザ・ブッチャー(83)とザ・シーク(1926~2003)のタッグだった。こんなに恐ろしいタッグがこの世に存在すること自体、奇跡ではないかと思ってしまった。

 プロレスファンだった高校生の私は、念願のチケットを手にし、友人と一緒に観客席の最上階から声援を送った。フォークで腕を突き刺され、鮮血に染まりながらも耐え抜いたテリー。優勝を決めた瞬間、国技館全体が揺れるような歓声 に包まれたのを今でも覚えている。

 テリーの人気が日本で沸騰したのは、あの試合からだろう。

「日本人に最も愛されたレスラー。甘いマスクは多くの女性ファンも獲得した」

 50年間、プロレスを撮り続けたカメラマンの山内猛(69)はそう語る。

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