“テッテレー”から“掛け合い”へ 撮れ高が保証されない「ドッキリ」を進化させ続ける「フジテレビ」の飽くなきこだわり

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「視聴者の読後感」まで考える番組作り

 だが、コンプライアンスが叫ばれる昨今、必ずしも作り手の思いが、視聴者に届くとは限らない。そもそもの話、今ほどコンプラインアスが厳しくなかった昭和の時代ですら、『スターどっきり(秘)報告』はPTAから低俗番組として糾弾されていた過去を持つ。ドッキリは、いつの時代もやり玉に挙げられやすいコンテンツでもあるのだ。

「とても難しい問題だと思っています。僕自身、BPO(放送倫理・番組向上機構)さんと何度もお話しさせていただいています。僕らとしては、タレントさんをいじめたいとは1ミリも思っていない。ですが、「タレントさんにひどいことをしてかわいそう」という意見が届くことも事実です」

 その齟齬をいかにして埋めていくのか? そう尋ねると、「今も試行錯誤の最中です」と前置きした上で、「視聴者の読後感を良くするような番組作りを心掛けることが大事ではないか」と言葉を続ける。

「先ほどの掛け合いもそうですが、引っかかった後にタレントさんが笑顔だったら印象は変わりますよね。『なんすかコレ!?』『ちょっと何やってんですか』『意味わかんないんすけど!』という部分以外も描かなければいけないと思っています。視聴者の皆さんに、ドッキリの前後の文脈まで届けないといけない」

 オープンキッチンを想像すると分かりやすいかもしれない。裏側で完結するのではなく、顧客がキッチンの内部を見渡せる。ドッキリとは言え、見ている人が安心感を抱けるような環境を作ること。ハラハラドキドキと安心感の両輪がなければ、ドッキリは時代遅れだと後ろ指をさされてしまう。

「作って仕掛ける側が意地悪な存在に見えて、仕掛けられた側の演者は愛されるような存在になる。それが僕たちの目指すところです」

 大勢の家族連れでにぎわう「お台場冒険王」。今年のメインキャラクターに就任したのは、「ドッキリGP」から生まれた名キャラクター、向井康二(Snow Man)演じる「マッサマン」だった。もしドッキリに否定的な声が主流なら、こうはなってはいないだろう。フジテレビのドッキリ愛は、現在進行形だ。

 時代とともにドッキリの在り方は変わってきた。一方で、ドッキリから新しいスターが生まれ続けることは変わらない。ドッキリの来し方行く末は、テレビの在り方そのものを示しているのかもしれない。

我妻 弘崇(あづま ひろたか)
フリーライター。1980年生まれ。日本大学文理学部国文学科在学中に、東京NSC5期生として芸人活動を開始。約2年間の芸人活動ののち大学を中退し、いくつかの編集プロダクションを経てフリーライターに。現在は、雑誌・WEB媒体等で幅広い執筆活動を展開。著書に『お金のミライは僕たちが決める』『週末バックパッカー ビジネス力を鍛える弾丸海外旅行のすすめ』(ともに星海社)など。

デイリー新潮編集部

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