「特攻資料館に行きたい」早田ひなの発言の意外な原点 恩師は「毎年夏になると戦争の話を」

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「特攻隊の話はあまりにつらくて……」

 真珠湾攻撃から始まる石田さんの“講話”の内容は、

「ひめゆりの塔や健児の塔に触れて、“戦争ではあなたたちと同じ年頃の人たちがたくさん亡くなったんだよ”と。8月6日と9日には広島と長崎に落とされた原爆の話。8月15日には、昭和天皇の玉音放送の言葉を語り聞かせていました」

“平和教育”をするのは、

「卓球ができること自体が当たり前ではなくて、恵まれたこと、幸せなことなのだと知ってほしいから。それを知った上で、思いっ切り卓球をやりなさいと伝えたかったのです」

 まさに、早田は師の思いを受け継いでいたわけだ。が、石田代表は首をひねる。

「ただ、特攻隊の話は、あまりにつらくてできなかったんです。早田はなぜ特攻隊に興味を持ったのか……」

「若い女性からの問い合わせも」

 そのカギは、昨年末に公開された映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」にあるかもしれない。終戦間際の日本にタイムスリップした女子高生が、特攻隊員と恋に落ちるストーリーで、若者に大評判となり、興行収入40億円をたたき出したヒット作である。原作者が鹿児島の知覧特攻平和会館を訪れたのが作品誕生のきっかけだった。

 知覧特攻平和会館の川崎弘一郎館長によれば、

「映画の影響で当館にいらっしゃる若い方は増えたかと思われます。“映画に登場する特攻隊員は実在したのですか?”という、若い女性からの問い合わせもありました」

 なるほど、早田が映画を観て関心を抱いたとしてもまったく不思議はない。

 目下、彼女はケガの治療に専念中。大舞台を終え、“課外学習”にうってつけの夏ではある。願い通り、本当に平和会館を訪問できているかもしれない。

週刊新潮 2024年8月29日号掲載

ワイド特集「天変地異」より

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