「特攻資料館に行きたい」早田ひなの発言の意外な原点 恩師は「毎年夏になると戦争の話を」

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 シングルスで銅、団体で銀。パリ五輪で二つのメダルを獲得した卓球の早田ひな(24)が、帰国後に「特攻資料館に行きたい」と語り、世間の注目を集めた。一見、藪から棒の発言だが、背景には恩師の知られざる“教え”があった。

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 混合ダブルスはまさかの初戦敗退。さらに利き手の左腕を負傷するなど、思いがけない展開が続くも、早田は逆境をはねのけ、見事メダリストとして凱旋(がいせん)した。

 件の発言は、今月13日に行われた記者会見で飛び出した。これからやりたいことを問われると、まず〈アンパンマンミュージアムに行ってポーチを作りたい〉とチャーミングな回答。続けて〈鹿児島の特攻資料館へ行き、卓球ができるのは当たり前じゃないと感じたい〉と述べたから、あまりの意外性に国内外で大いに反響を呼んだのである。

「毎年夏になると戦争の話を」

「早田が特攻隊に興味があるとは初めて知りましたよ」

 そう感慨深げに語るのは、福岡県の卓球クラブ「石田卓球N+」の石田眞行代表(71)。妻・千栄子さんと共に、4歳からクラブに通い始めた早田を、全国中学校卓球大会で頂点に立つまでに導いた恩師である。

「“メダルおめでとう”とメールしたら、早田から“4年後は金メダル取りますから”と返事がありました。もうロス五輪に向けてやる気になってるのかとびっくりしたのですが、その直後に“特攻資料館”でしたから、余計に驚きました。私が言っていたことを覚えていたんですかね」

 どういうことか。

「生徒たちにはただ卓球をやるだけではなく、人間的な成長もしてほしいので、試合後の反省会ではいろいろな話をしました。普段は“与えられたごはんはありがたく食べましょう”といった話ですが、毎年、夏になると戦争の話をしていたんです。忘れてはいかんことですから」

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