「過激派の教祖」と呼ばれた滝田修氏の扇動と激変 釈放後語った持論は「右翼とか左翼とかいうのは遅れた考え」

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 過激派を扇動する滝田修氏(本名・竹本信弘)の言葉が注目されるようになったのは、1969年ごろからである。当時、滝田氏は京都大学の助手。全共闘系で頭角を現すが、組織や教条主義を嫌い、「ごちゃごちゃ言わんで、やらないかんのや」と既成の左翼を批判していく。

 革命を世直しと捉え、暴力抜きには実現できないと主張。ごく少人数の集団や個人が自在にぶちあたる闘争を広げて革命を起こすと説いた。関西弁で、そやろ、おまえら、と語りかけるような漫談調。具体的な戦術に乏しく、話に理論的支柱となるほどの中身はないが、アジテーターとして若者を引きつけた。...

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