妻を絶賛しながら…年下女性に肉体関係ナシの「濃厚な愛情」 46歳夫が“セカンドパートナー”と出会うまで

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実家からの要請

 その後、都立高校に入学、部活で吹奏楽を楽しんだ。友だちとの関係も良好で、「彼女」もできた。中学時代に感じた「自分を制御しきれない感覚」は消え失せて、周りと調和を保ちながら自分を生かしていくことが心地よかった。

「伯母夫婦は親より気軽につきあえたんです。特に伯母は、教師をやめて家庭教師になったという、親戚の間では“変わり者”でした。『教師は、大人の都合でいい子を作り出す仕事、家庭教師は勉強に特化することもできるし、人生を語って聞かせて感じてもらうことができる仕事』って。いい伯母でしょう? 伯父も教員でしたが、こちらはかなり偏差値の低い私立高校で教えていて、あれこれ生徒の問題を抱えては走り回る熱血教師でした。ふたりとも忙しかったから、夕食の時間が遅いんですよ。伯母が惣菜を買って帰ってきたりしていましたが、そのうち僕が夕飯を作るようになった。ふたりともものすごく喜んでくれたし、僕も作りがいがありました」

 おいしいものを食べて伯母と伯父とで語り合う。週末はみんなで餃子を作りながら、世間話から政治まで議論した。

 そんな楽しい家庭ができあがっていると、誰かから報告でもいったのか、親から「大学は地元に近いところにしろ」と指令がきた。もちろん、寿登さんは無視して東京の大学に進学した。

「伯母夫婦の養子になってもいいなと思っていたころ、母親からSOSがありました。父がうつ状態になって仕事を休んでいる、と。そう言われても僕には何もできないし、帰ったところで役に立つとも思えないと返事をすると、母親は『おまえがそんなに恩知らずだとは思わなかった』と暴言を吐いたんです。親との関係がそんなに悪いわけではないと自分では思っていたので、これはショックでした。僕が自分の将来のために東京の大学に進んで生活しているのが恩知らずなのか。親は自分たちのために僕を産み育てたのか。そっちこそ身勝手だろと電話で言うと、母が泣き出して……。伯母はさすがに姉妹ですから、実家に駆けつけましたが、父と母のことは『ふたりとも、なんだかこじれてるわ』って。当時は教育者がこじれてどうするんだと思いましたが、今になってみると、ふたりとも仕事熱心すぎて疲れ果てたのかもしれません」

突然の悲劇

 父はその後、自ら命を絶ってしまった。なかなかよくならない病状を心配して、寿登さんも夏休みを利用して実家に戻っていた。父には入院することを勧めたのだが、「そんなみっともないことはできない」と拒絶された。疲れている母に寄り添って、少し景色のいいところまでドライブした。母は「ごめんね、迷惑かけて」とつぶやいた。

 恩知らずと言っていた母に謝られて、彼は親の苦労を理解したという。とにかく父には入院することをふたりで勧めようと話をまとめて帰宅。父が眠っていたので、明日、3人で話そうと母と決めた。そして翌朝、寿登さんが起きてみると、父がいない。慌てて探すと、父は家の裏に車を止めて排ガスを引き込んでいた。

「世間からどう見られるかなんて考えずに、心身が不調なら入院すればよかったんです。人間、率直に生きないと自分で自分を追いつめるものだなとあのとき、感じました」

 彼は淡々と父の死を受け止めたそうだ。自分が何かできたのではないかなど、「よけいな」感情を持たないように心がけた。そうしないと自分が崩れてしまう不安があったのだろう。

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