「今の時代に『国のために』というのは意味が全く異なる」…「ボストン1947」カン・ジェギュ監督が描いた“未来につながる過去”

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今と昔で異なる「国のために」の意識

――映画は五輪やスポーツによる国威発揚が感じられる作品になっていますが、ナチスによるベルリン五輪の政治利用といった前例や、「国のために」という意識が選手への過剰なプレッシャーになる事実もあります。そうした点について監督が思うところを教えてください。

 この作品の中ではあまり描いていませんが、実際にソン・ギジョン先生はソ・ユンボク選手に「国のために走りなさい」と何度も言っていたそうです。というのも、当時の彼らは「国」を持たない人間で、言ってみれば宇宙の中で迷子になっているようなものだったんです。そんな状況下で、個人として金メダルを取ることのみで幸せになれるだろうか――ギジョン先生の言葉にはそういう意味があったんです。その当時において、自分たちの国を取り戻すために走ることは価値があったと思います。

 でも、今の時代に「国のために」というのは、意味が全く異なりますよね。おそらくそうした国家主義を前面に打ち出し扇動するのは、それによって様々な利益を得る人がいる――つまりは商売になるんだと思います。

 もちろん、ある国に属する個人の頑張りと活躍がその国の国威発揚につながるのも大切なこと、大きなことではあると思います。でも、それが主たる目的となってしまうのはとても悲しいことですし、今の時代に「国のために!」という気持ちだけで頑張れる人も、そうはいないかもしれませんよね。

渥美志保(あつみ・しほ)
TVドラマ脚本家を経てライターへ。女性誌、男性誌、週刊誌、カルチャー誌など一般誌、企業広報誌などで、映画を中心にカルチャー全般のインタビュー、ライティングを手がける。yahoo! オーサー、mimolle、ELLEデジタル、Gingerなど連載多数。釜山映画祭を20年にわたり現地取材するなど韓国映画、韓国ドラマなどについての寄稿、インタビュー取材なども多数。著書『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』が発売中。

デイリー新潮編集部

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