「今の時代に『国のために』というのは意味が全く異なる」…「ボストン1947」カン・ジェギュ監督が描いた“未来につながる過去”

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ナム・スンニョンの重要な役割

――映画は彼だけでなく、同じくベルリン五輪の銅メダリスト、ナム・スンニョン選手と、若手のソ・ユンボク選手の3人を主人公にしていますよね?

 この奇跡のような物語を、それぞれに異なる魅力を持った3人の人物で表現したいと思いました。1人目は世界を制したヒーローであるソン・ギジョン。2人目は「彼のようなヒーローになること」を目指している若いソ・ユンボク。そして3人目は、常にヒーローの影で2位や3位に甘んじてきたナム・スンニョンです。観客には「映画の主人公は3人のうちどの人物なのかな?」と思ってくれること、観客が必ず誰か1人に自分を投影できる作品になってほしいということを願っていました。

 その上では、特にナム・スンニョンがとても重要な役割を果たしてくれたと思います。「優勝したい」と頑張るソ・ユンボクを応援したいと感じる人は多いと思いますが、万年2位、あるいはずっとビリばっかりだった人は、きっとナム・スンニョンに自分を同化させると思います。常に勝利を手にして最高位に上り詰めながらも、その過程において人生の辛酸を舐めた人は、ソン・ギジョンに心を寄せるでしょうし。

――ちなみに監督はどの人物に?

「ソ・ユンボク頑張れ!」と思いつつも、実際に応援せずにいられないのは、やっぱりナム・スンニョンでしたね。編集作業の時にも「2人を中心に据えるために、スンニョンの分量を減らしましょう」と言われたんですが、最後まで「いや、スンニョンは残します!」と譲らずに頑張ったんですよ。

過去を失えば未来は見えなくなる

――監督には1940~50年代を描いた作品が多いですが、なにか意図があるのでしょうか?

 もちろん今の時代の現実も大切ですが、自分たちが生きてきたここまでの物語も、私は重要だと思うんですね。だって、未来は過去を土台に作られるものだからです。人はともすると「過去=もう過ぎたこと」として関心を持とうとしませんが、過去を失えば未来は見えなくなってしまう。

「過去」「現在」「未来」は便宜上分類されているだけで、実際はひとつづきの線上にある同じものです。現代を生きる人は「過去=前世」であるかのような、自分とは無関係なものと考えているようですが、「過去=未来」と考えれば、過去は決して過去と片付けられないはずです。未来が暗く見えるのは、そのせいもあるような気がします。

――事実をベースにした本作で、脚色を加えたのはどんな部分でしょうか?

 人物のキャラクターに関わる部分では、ユンボクの母親が亡くなった時期ですね。実際はボストン大会に行く2~3年前なのですが、劇中では大会に向けた訓練の最中に亡くなるという脚色にしています。

 ボストンマラソンでのユニフォームも、実際はアメリカの星条旗と韓国の太極旗の両方がついていたのですが、劇中では太極旗だけに。また出場に必要な保証金も、実際は米軍政府の体育課長の、周囲への個人的な働きかけでかなりの支援を得たそうですが、劇中では市民が「募金をしよう」と言い出して大々的に広がった形になっています。

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