まさかの暗転!ノーヒットノーラン目前から負け投手になった不運すぎる「投手列伝」

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勝利と敗戦は紙一重

 ノーヒットノーラン継続中の9回1死、初安打を許したのをきっかけにリズムを崩し、負け投手になったのが、ヤクルトの左腕・村中恭兵である。

 プロ3年目の2008年5月3日の巨人戦、ヤクルトアトムズの復刻ユニホームを着てマウンドに上がった“20歳の若武者”は、伸びのある直球にフォーク、スライダーを織り交ぜ、制球が適度に荒れていたのも幸いして、8回まで3四球のみの無安打無失点に抑える。

 だが、ヤクルト打線も内海哲也に7回までゼロに抑えられ、8回に川島慶三の右前安打と二盗で2死二塁のチャンスも、リリーフ・山口鉄也の踏ん張りの前にあと一打が出ず、無得点。0対0のまま9回に突入した。

「(記録は)意識していなかった。先に点を取られないようにとだけ考えていた」という村中は、この回も先頭の谷佳知を二ゴロに打ち取り、1死を取った。

 だが、「とにかく粘り強くいこうと思っていた」という次打者・亀井善行にファウルで13球も粘られた末、フルカウントから14球目直球が真ん中に甘く入るところを右中間フェンス直撃の二塁打。ついに記録は途切れた。

 気を取り直して坂本勇人を二飛に打ち取り、何とか2死まで漕ぎつけたものの、3打席3三振と当たっていない小笠原道大を敬遠したことが、結果的に裏目に出る。

 2死一、二塁から山口の代打・大道典嘉に痛恨の右越え先制2点タイムリー二塁打を浴び、ついに降板となった。

 この2点だけなら、まだ試合はわからなかったのだが、リリーフ・五十嵐亮太が阿部慎之助にダメ押し3ランを浴び、0対5の敗戦。6回を1失点に抑えながら0対1で負け投手になった4月26日の中日戦に続いて“ムエンゴ”に泣いた。2010年と12年に二桁勝利を記録した村中だが、その後もノーヒットノーランを達成することはできなかった。

「ノーヒットノーラン」と「ノーノー未遂」、勝利と敗戦は本当に紙一重の差であることを痛感させられる。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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