まさかの暗転!ノーヒットノーラン目前から負け投手になった不運すぎる「投手列伝」

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ロッテ・小島和哉が7月19日の日本ハム戦で、7回まで無安打無失点に抑えながら、8、9回に2本塁打を被弾し、被安打2の2失点で負け投手になったが、過去にも、ノーヒットノーラン目前から負け投手になった不運な男たちがいた。【久保田龍雄/ライター】

「快記録目前」から「逆転負け」の暗転劇

 9回1死までノーノーに抑えながら、悪夢の逆転サヨナラ負けに泣いたのが、“平成の大エース”と呼ばれた巨人・斎藤雅樹である。

 1989年の斎藤は、開幕から15勝2敗と絶好調。7月15日のヤクルト戦で、NPB歴代トップの11試合連続完投勝利を記録するなど、勢いに乗っていた。

 そして迎えた8月12日の中日戦。この日も中日打線を8回まで無安打無失点に抑えていた。

 7回まで中日の先発・西本聖の前にゼロ行進を続けていた巨人打線も、8回に川相昌弘のタイムリー三塁打で1点を先制すると、9回にもクロマティ、原辰徳の連続アーチで3対0とリードを広げ、勝負あったかに思われた。

 そして、史上68人目の快挙達成なるか注目された9回裏、斎藤は先頭の8番・中村武志を切れのあるスライダーで空振り三振に打ち取り、ノーヒットノーランまで「あと2人」となった。

 ところが、この場面で星野仙一監督が投手の川畑泰博に代えて、この日1軍に上がったばかりの音重鎮を代打に起用すると、初球の内角直球をライナーで右翼線に弾き返し、土壇場で記録は幻と消えた。

「音は、皆がビビッているときでも、平気で打席に立てる選手だから」という星野監督の狙いが見事的中した形だ。

「大丈夫」と笑顔を見せた斎藤だったが、気持ちを切り替えられず、2死後、四球で一、二塁とピンチを広げたあと、仁村徹に右前タイムリーを許し、完封もなくなった。

 そして、なおも2死一、三塁で、4番・落合博満が2球目の低め直球をとらえると、打球は逆転サヨナラ3ランとなって右中間席に吸い込まれていった……。

 快記録目前から逆転負けという暗転劇に、斎藤は目に涙を溜めながら終始無言。代わって中村稔投手コーチが「今日は何だかんだつける理由がない。とにかく野球は何が起こるかわからないんだ」とコメントした。19年の現役生活で通算180勝を記録した斎藤だが、ノーヒットノーランは1度も達成できなかった。

9回1死、「あと一歩」が届かなかった例は他にも

 前出の斎藤同様、9回1死で“ノーノー未遂”となった直後、不運な逆転サヨナラ負けを喫したのが、広島エース時代の前田健太である。

 2011年10月25日のヤクルト戦、前田はヤクルト打線を8回まで2四球のみの無安打無失点に抑え、1対0とリードして最終回を迎えた。

 先頭のホワイトセルを見逃し三振に打ち取り、まず1死。ところが、「宮本(慎也)さんに“カーブを狙いに行く”と言ったら、“スライダーのほうがいい”と言われた」という次打者・藤本敦士に2球目、スライダーを左翼線にうまく流し打たれ、「あと2人」で記録を逃してしまう。さらに上田剛史にも遊撃内野安打を許したあと、田中浩康に四球を与えて、1死満塁のピンチとなった。

 だが、次打者・畠山和洋は二ゴロ。4-6-3の併殺でゲームセットと思われたが、併殺崩れとなり、土壇場で1対1の同点に。そして、2死一、三塁から福地寿樹に左前に打たれ、プロ入り後、初のサヨナラ負けを食らう羽目になった。

「(ノーヒットは)意識していました。調子はそんなに良くなかったが、コントロールが良かった。でも、勝つためにやっているので、負けたのは悔しい」と語った前田は、この屈辱をバネに、翌12年4月6日のDeNA戦で、史上74人目のノーヒットノーランを達成している。

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