「樹の枝に見えたのは兵士たちの……」米軍の砲弾炸裂後に広がった地獄の光景 #戦争の記憶

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 約20万トンの銃砲弾・爆弾が撃ち込まれ降り注ぐさまは「鉄の暴風」と形容され、米軍の戦史にも「ありったけの地獄を集めた」と刻まれる戦闘がいまから79年前、沖縄であった。

 1945年5月、棚原(たなばる)。友軍進出の兆しもない中、敵軍に取り囲まれ孤立状態に陥っていた第24師団歩兵第32連隊・第1大隊を率いた伊東孝一(当時24)は、尋常でない炸裂音を轟かす砲弾を浴びたのち、「地獄の光景」を目の当たりにしている。

※本記事は、浜田哲二氏、浜田律子氏による著書『ずっと、ずっと帰りを待っていました 「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』より一部を抜粋・再編集し、全3回にわたってお届けする。...

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