女子レスリング「メダルラッシュ」も至学館は五輪代表ゼロ…海外勢が集まる“虎の穴”となった「名門大学」のいま

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除外の対象に

「パリ五輪の直前にも3カ国が来て、一緒に練習をしていました」

と教えてくれたのは栄監督だ。韓国、スイス、ニュージーランドが至学館道場で最後の強化と調整を行い、パリに旅立った。

 日本レスリング協会の副会長でもある谷岡学長が言う。

「至学館の選手だけ、日本の選手だけが金メダルを獲り続けたのでは、女子レスリングがオリンピック種目から外されてしまう可能性があります」

 実際に、男子も含めレスリングがオリンピックから除外されかけた時期がある。2013年2月のIOC理事会で、東京2020でレスリングの除外が決定された。その事態に、まだ現役だった吉田沙保里らが先頭に立ち、継続を訴えた様子はニュースでも報じられた。巻き返しの努力が実り、レスリングは五輪にとどまったが、谷岡が言うように、「世界的な普及が十分でない」という表向きの理由と、裏側で囁かれた「IOC委員の多くを占めるヨーロッパの国々の選手がメダルを獲れていない」という実情はいまも変わらず、いつまた除外の対象にされてもおかしくない状況がある。

憧れの場所

「アジアをはじめ、世界各国の普及・強化は大切な課題です。至学館の道場が、そうした役割を果たせたらうれしいと思っています」

 至学館の道場には、8人(計14個)もの金メダリストを育てた栄和人監督がいまも元気でいる。世界中の指導者・選手にとって、栄監督の存在はもちろんカリスマ的で、彼の一言は選手の成長と成果に大きな影響力を持っている。

 柔道界では、世界の柔道家たちが講道館を聖地のように感じて繰り返し訪ねてくる。女子レスリングにおいては、それにも近い「憧れの場所」に至学館の道場がなっているのかもしれない。

 至学館の道場で強化を図ったのは、実は外国選手ばかりではない。パリ五輪で全階級メダル獲得を果たした今大会の日本代表選手の多くも、一度は至学館の道場で洗礼を受けているのだという。

「吉田沙保里の後継者」とも呼ばれ、中学2年から無敗の記録を続けてパリ五輪で金メダルに輝いた藤波朱理も今春、『至学館の道場で練習した』というニュースが報じられていた。さらに、「パリに行く直前にも、うちの道場で調整していたんです。彼女の実家は三重ですから、ここで練習すると、自宅でお母さんの手料理が食べられる。それもあって、うちの道場がすごく気に入っているらしいです」(谷岡氏)

 日体大進学後はコーチでもある父と東京でふたり暮らし。父の作った料理を不機嫌な顔で食べる藤波の様子がテレビでも報じられたが、7月には母の手料理を食べて最終調整ができた。

 パリ五輪でいずれも金メダルを獲った櫻井つぐみ、元木咲良は2月に育英大の強化合宿でこの道場で汗を流した。金メダルを獲った鏡優翔、銅メダルの尾﨑野乃香も5月の連休に来たという。

 至学館の道場は、自校の選手を育てる段階から、女子レスリングの国際的な普及・発展と国内外のさらなる強化拠点としての役割も担い始めている。

 さらに、別の側面も谷岡氏は教えてくれた。

「海外から多くの選手が来るようになって、こちら側の一番の変化は、選手たちが『英語を話せるようになりたい』と本気で思うようになったことでしょう。英語が話せたら、現役を引退した後、国際審判員になることもできます。いろんな可能性が広がりますよね」

 根っから教育者の谷岡氏は、その可能性にも目を細めている。

 そしてもちろん、至学館でも新たな選手は育ち始めている。今夏のインターハイには、至学館高から4選手が出場し、47キロ級では1年生の勝目結羽が初優勝を飾った。6月の明治杯でも至学館大の屶網瑠夏が57キロ級を制するなど、着実に次の世代も力をつけている。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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