なぜ昔の酢飯は甘くなかったのか…老舗「食酢醸造」会社代表が明かす、寿司屋に大打撃を与えた「事件」と、世界が認めた「赤酢復活」の背景
本当の江戸前は砂糖ゼロ!?
現在、酢飯のレシピをインターネットで検索すると、ほぼ全てが砂糖を入れるよう指示している。ところが江戸時代に遡らなくとも、昭和20年代にも砂糖なしの酢飯が使われていたと伝えるエッセイが残っている。
作者は書家、陶芸家、そして美食家としても知られた北大路魯山人(1863~1959)。彼は1952(昭和27)年から1953(昭和28)年まで雑誌「独歩」を発行した。そして同誌に掲載されたエッセイ「握り寿司の名人」に全く砂糖を使わない酢飯のレシピが紹介されている。
《酢は米酢と称するものが一番で、関西寿司の用うる白酢ではだめだ、飯に三分づきくらいの色がつく酢が旨い。それから飯の味付けは、上方式に米の中に昆布、砂糖などでいろいろ加味しては江戸前にはならない、塩、酢、だけの味付けが本格である》(註:ルビは省略した)
さらに酢飯を作るのに最も適した酢は《愛知赤酢・米酢》だと勧めている。《愛知》とわざわざ産地を明記しているのは、中野又左衛門の歴史が背景にあるのだろう。
日本酒を醸造すると必然的に生じる酒粕が原料のため、赤酢は大量生産が可能だった。多くの寿司屋が赤酢を歓迎して大量に注文。赤酢と塩だけを使い、砂糖なしの酢飯が一般的なものとなった。
こうした伝統に変化が生じたのが、1952(昭和27)年に発覚した黄変米事件だ。ここで注意してほしいのは、魯山人のエッセイが掲載された『独歩』は同じ年に刊行されたという点だ。
高級寿司と赤酢の関係
「赤酢を使った酢飯は色がつきます。それで握ったお寿司をお客さんに出すと、『これは黄変米ではないのか』と不審に思われる事態が続出したのです。困ったお寿司屋さんにメーカー側が米酢などへの切り替えをアドバイスしたこともあり、多くのお寿司屋さんが赤酢の使用を止め、別の酢に切り替えました。しかし赤酢より甘味もうま味も少なくなるので、砂糖で調整するレシピが誕生したのではないでしょうか?」(同・私市氏)
魯山人が『握り寿司の名人』を書いたのは、黄変米事件で赤酢が使われなくなる直前だった。また魯山人が最高級の寿司だけを愛し、エッセイで描いたのも東京・新橋の高級店だったということも、酢飯に砂糖が使われなかった理由のようだ。
「高級志向の寿司店は、ネタも最高級です。マグロのトロなら上質の脂身が甘味を感じさせます。白身魚は価格が高いほど、うま味が豊富です。さらに伝統的な江戸前寿司は、穴子やハマグリなどに美味しいツメを塗ったり、マグロの赤身は出汁醤油でヅケにしたり、白身は昆布締めでうま味をさらに増やしたりするなど、いわゆる“仕事”を施します。甘味やうま味が豊富なネタには、砂糖を使わない酢飯こそが最も相性がいいのです。ちなみに現在の新橋では米酢の酢飯だったり、ここ数年一気に増えた赤酢の酢飯だったりと、食べる人間にとっては選択肢が増えています」(同・私市氏)
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