稀代の美食家「北大路魯山人」が食べていた“酢飯”は砂糖ゼロだった…江戸前寿司の元祖「華屋与兵衛」が“赤酢”にこだわった理由

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華屋与兵衛と“酢の技術革新”

 謎を解く鍵は赤酢にあるようだ。千葉県鎌ケ谷市の私市(きさいち)醸造は高品質の赤酢を生産しており、数々の高級寿司店が全幅の信頼を寄せている。

 同社の公式サイトには「江戸前こばなし」のコーナーがあり、江戸前寿司と赤酢の興味深いエピソードが掲載されている。果たして昔の酢飯は甘くなかったのか、砂糖を全く入れなかったのか、代表取締役の私市一康氏に取材を依頼した。

 私市氏によると、江戸時代に握り寿司を考案したとされる華屋与兵衛(1799~1858)が“酢の技術革新”と出会ったことが重要なのだという。

「江戸時代、米は貴重品でした。そして貴重な米を使って醸造する酢は、それ以上の貴重品だったのです。ところが19世紀初頭に今の愛知県で、酒造家の中野又左衛門(1756~1828)が酒粕を使って赤酢を醸造することに成功しました。酒粕は日本酒を搾り取った後に生まれる残り物ですから、原材料のコストが非常に安い。しかも酒粕はデンプンとタンパク質が豊富で、酢を醸造する過程でデンプンは糖に、タンパク質はアミノ酸に変わります。その糖とアミノ酸が長期熟成中に“メイラード反応”が起こって褐変化。その後のアルコール発酵と酢酸反応を経て、コクが豊富な赤酢が完成します。『甘味とうま味が豊富で、おまけに安価』という商品価値の高い酢が誕生したのです」

今に残る砂糖なしのレシピ

 ちなみに中野又左衛門が始めた酢の醸造が、今のミツカングループの起源とされている。魯山人がわざわざ《愛知赤酢》と産地を明記しているのも、こうした歴史が影響を与えているのだろう。

 話を元に戻せば、甘味とうま味が口の中でバランス良く混ざり合うと、「美味しい!」と感じる人が爆発的に増える。しかも赤酢は米酢より圧倒的に仕入れ値が安い。これに目を付けた華屋与兵衛は酢飯に赤酢を使った。

 理由は後述するが、日本では赤酢の生産が一度、途絶えてしまう。私市醸造では酒粕100パーセントの赤酢を生産しているが、これは高度経済成長期に当時の最新技術で“復活”させたものだ。私市氏のような専門家でも、華屋与兵衛が使っていた時代の赤酢はどんな味だったのかは分からないという。

「江戸時代の赤酢にどれほどの甘味やうま味があったのか、当時の醸造方法は今に伝えられていませんので、もうその味を知る方法はありません。とはいえ、結論から先に申し上げますと、華屋与兵衛の握り寿司の酢飯には砂糖が使われていなかったはずです。魯山人も『塩、酢、だけの味付けが本格である』と書き、『愛知赤酢・米酢』を勧めました。魯山人は米酢も挙げていますが、当時の職人はネタに砂糖に変わる甘味を施し、味のバランスを取っていたのかもしれません」

黄変米事件の衝撃

 赤酢は甘味とうま味が豊富なため、あとは塩だけで充分に美味しい酢飯を作ることができるという。

 となると、新たな疑問が浮かぶ。なぜ酢飯に砂糖を入れるレシピが一般化したのだろうか。私市氏は「その謎を解くためには、赤酢と酢飯の歴史をさらに詳しく振り返る必要があります」と言う。

 第2回【なぜ昔の酢飯は甘くなかったのか…老舗「食酢醸造」会社代表が明かす、寿司屋に大打撃を与えた「事件」と、世界が認めた「赤酢復活」の背景】では、1952(昭和27)年に発生した黄変米事件が赤酢と酢飯に与えた大きな影響や、赤酢復活の経緯、家庭で砂糖の少ない酢飯を作るレシピなどをお伝えする──。

註:広辞苑は「寿司」と書くのは当て字としている。

デイリー新潮編集部

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