稀代の美食家「北大路魯山人」が食べていた“酢飯”は砂糖ゼロだった…江戸前寿司の元祖「華屋与兵衛」が“赤酢”にこだわった理由
国語辞典『広辞苑』(岩波書店)で「すし【鮨・鮓】」を調べると、2つの語釈が記載されている。1番目は《なれずし》の説明で、これは省略させていただこう。2番目は《酢と調味料とを適宜にまぜ合わせた飯に、魚介類、野菜などを取り合わせたもの》とある。寿司を言葉で表現すると、こんな表現になるのかと興趣を覚えた方もいるだろう(全2回の第1回)
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また『広辞苑』の記述からは、寿司では酢飯=シャリが大きな役割を果たしていることも改めて認識させられる。実際、寿司職人は「寿司の味はネタよりシャリのほうが重要」と口を揃え、「握りの味はネタが4分にシャリ6分」という“格言”もあるそうだ。
その酢飯は、どうやって作られるのだろうか。素人に握り寿司は無理でも、ちらし寿司や手巻き寿司を自宅で調理した人は、かなりの数に達するはずだ。
インターネットでも多くのレシピが紹介されている。例えば料理雑誌「オレンジページ」の公式サイトでは、ご飯2合に対し酢は大さじ3、砂糖は大さじ2、塩は小さじ1となっている。
セブン&アイ・ホールディングスが運営する「セブンプレミアム」の公式サイトでは、ご飯2合に酢は大さじ4、砂糖は大さじ2、塩は小さじ1──。2つのレシピを比較すると酢の量が少し違うが、基本的には似た味つけだと考えていいだろう。
ところが、である。どうも昔の酢飯は、砂糖をほとんど使わなかったようなのだ。書家で陶芸家の北大路魯山人(1883~1959)は美食家としても知られ、自ら料理を作って知人に振る舞ったほか、東京の永田町にあった高級料亭「星ヶ岡茶寮」の経営に参画していたことでも有名だ。
塩と酢だけの酢飯
その他にも人気グルメ漫画『美味しんぼ』(小学館)の登場人物、海原雄山のモデルとして記憶している方も多いに違いない。
魯山人は雑誌「独歩」(1952~1953年)を発行。同誌に掲載されたエッセイ「握り寿司の名人」は今でも評価の高い一編だ。魯山人が上梓した『料理王国:春夏秋冬』(中公文庫)に収録されているほか、青空文庫でも読むことができる。
この中に酢飯のレシピが記されており、現在の常識とは全く異なる味つけで驚かされる。さっそく引用してみよう。
《酢は米酢と称するものが一番で、関西寿司の用うる白酢ではだめだ、飯に三分づきくらいの色がつく酢が旨い。それから飯の味付けは、上方式に米の中に昆布、砂糖などでいろいろ加味しては江戸前にはならない、塩、酢、だけの味付けが本格である》(註:ルビは省略した)
さらに寿司飯を作るのに最も良い酢は《愛知赤酢・米酢》だと勧めている。現在では砂糖を大さじ2杯入れているのに、昭和20年代後半の魯山人は《塩と酢だけ》の酢飯が最高だと断言しているわけだ。
そんな酢飯は酸っぱくて食べられないのではないかと首を傾げる人も多いのではないだろうか。とは言え、前に見た通り魯山人は自ら包丁を取り、その腕はプロ顔負けだった。料亭の指揮を執れば名店と絶賛された。そんな彼のレシピに勘違いの可能性は低いだろう。
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