【追悼アラン・ドロン】あの名作CMに出演した意外な理由…「世界のミフネ」が橋渡しをしていた!

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

「ダーバン」CMに出演した理由

 アラン・ドロンは大の親日家だった。レナウンの紳士服ブランド「ダーバン」のCMに出演していたのをご記憶の方も、多いだろう。このころの海外では、映画スターがTVCMに出演すると、格が落ちるといわれていただけに、世界中が驚いた。

「しかし、それを実現させたのが、三船敏郎なんです」

 と、これも西村さんが裏話を語ってくれた。

「きっかけは、1971年の仏伊米ほかの合作映画『レッド・サン』です。日本の三船敏郎、アメリカのチャールズ・ブロンソン、フランスのアラン・ドロンという、世界三大俳優が共演する異色西部劇でした。企画の発案者は、三船さん本人と、三船プロダクションの幹部で、三船敏郎の参謀でもあった田中寿一さんです」

 佐賀に実家がある西村さんは、おなじく九州在住の田中寿一さんといまでも交流をもち、さまざまな話を取材している。

「この企画に興味をもったアメリカ側プロデューサーと打ち合わせるために、2人は渡米します。先方は、数人の監督を連れてきて、この中から選べといったそうです。それが、テレンス・ヤング、エリア・カザン、サム・ペキンパーほかの豪華な顔ぶれ。そのなかで、テレンス・ヤングだけが、『ミフネに会えて幸せです』と挨拶してくれた。そこで2人は、テレンス・ヤングを指名したそうです」

 この時点では、三船の相手役としてチャールズ・ブロンソンの出演は決まっていた。あと1人を誰にするか……。

「三船はとにかく、この映画を国際的にしたかったのです。そこで田中寿一さんが、『監督はイギリス人のテレンス・ヤング。俳優は日本人とアメリカ人。だったら3人目は、フランス人のアラン・ドロンではどうか』と提案した。ドロン側も“ミフネと共演できるのなら”と話はトントン拍子に進み、前代未聞の世界三大俳優の共演が実現したのです」

 実はこのとき、田中さんのもとには、レナウンから、新しいCMについての企画が持ち込まれていた。

「そして、アラン・ドロンは、ほかの2人が日本のTVCMに出演して巨額のギャラを得ていることを知るのです。欧米では、映画俳優がTVCMに出ることは、まずないので、驚いたようです。当時、ブロンソンは男性化粧品のマンダム、三船はサッポロ・ビールのCMに出演中でした。ドロンは冗談で、『チャールズがビール、ミフネが化粧品のCMに出たほうが面白いんじゃないか』と言っていたそうです」

 どちらも決めセリフがあった。ブロンソンは「ウ~ム、マンダム」、三船は「男は黙ってサッポロ・ビール」(コピーのみ)である。

「三船は、『日本では、TVCMに出てこそ一流俳優だ。よかったら、お前もどうだ。いま、レナウンからいい話が来ているぞ』と勧め、ドロンは、すっかりその気になります。そして、撮影地スペインからパリへ帰る自家用機に田中さんを同乗させ、その機中で、最終的に話が決まるのです」

 さっそくこのCM企画は、三船プロと電通の共同制作、音楽は小林亜星、田中さんがプロデューサーという布陣で実現する。

 ひたすらカッコよく映されるアラン・ドロンの日常の姿。そして決めセリフは「D'URBAN, c'est l'elegance de l'homme moderne.」(ダーバン、セレレガンス、ドゥローム、モデルヌ)=「ダーバン、現代を支える男のエレガンス」。

 このCMは大好評で、以後、11年間もつづいた。さらにドロンはマツダ・カペラのCMにも登場。1980年代以降、映画出演が減り始めたドロンの生活を支える、収入基盤になったと伝えられている。そのきっかけは、“世界のミフネ”のひとことだったのだ。

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。