【追悼アラン・ドロン】あの名作CMに出演した意外な理由…「世界のミフネ」が橋渡しをしていた!

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「太陽がいっぱい」は違う役を予定していた

 名優、アラン・ドロンが亡くなった。享年88。

 アラン・ドロンといえば、なんといっても「太陽がいっぱい」(1960年)である。貧困の身ゆえ、裕福な友人(モーリス・ロネ)を殺害し、なり替わって財産も恋人も奪おうとする孤独な青年を見事に演じた。

 ところが、この2人の配役、当初は逆の予定だったという。最近、佐賀新聞での連載コラムが2000回を突破して話題となった映画評論家の西村雄一郎さんが、かつて「キネマ旬報」パリ特派員時代、ルネ・クレマン監督にインタビューして、意外な裏話を聞きだしている。

「オーディションの時点では、モーリス・ロネが殺人を犯す貧困青年役で、アラン・ドロンは殺される役の予定でした。ところが、実際にルネ・クレマンが会ってみると、アラン・ドロンの、その不思議な影がある美青年ぶりに、すっかりまいってしまったようです。そこで配役を逆にして、あの名作が生まれたのです」(西村さん)

 このころのアラン・ドロンは23~24歳。すでにコメディ映画などに出演はしていたが、まだ世界的に知られるほどの俳優ではなかった。たしかに、一見、モーリス・ロネのほうが殺人を犯しそうに見えるが、それを逆転させたところは、さすがに名匠ルネ・クレマンだった。

「このインタビューは、クレマン邸でおこなわれたのですが、あまりに盛り上がってしまい、30分の予定だったのが、3時間にもおよんでしまいました。そのうち、クレマン夫人が業を煮やし、『ルネ! ディネ!』(食事よ!)と声をかけ、ようやく終わりとなりました」

 さすがにあれほどの美青年とあって、アラン・ドロンは、その後も、オジサマ名監督たちに“溺愛”された。ルネ・クレマン監督との仲についても、妙な噂が流れていた。だが「太陽がいっぱい」撮影時、ドロンは、オーストリアの若手女優、ロミー・シュナイダーと婚約中だった(のちに解消する)。映画の冒頭、女友だち数人のなかに、そのロミーがいて、チラリと映っている。さすがに婚約者がいたのでは、クレマン監督も、おおやけには手を出しにくかったろう。

「その後、ドロンを“溺愛”したのは、美男子好きのルキノ・ヴィスコンティ監督です。『若者のすべて』(1960年)、『山猫』(1963年)の2本で起用されています」

 しかしやはりドロンは、女性を愛したようだ。ロミー・シュナイダーとの婚約解消後も、ドイツ人歌手ニコとの間に男児をもうけた。その後はナタリー・ドロンと結婚、男児を得る。離婚してミレーユ・ダルクと愛人関係になり、さらにオランダ人モデルとの間に二児をもうけるなど、後年まで、たいへんなお盛んぶりであった。

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