今年もまた熱戦が…夏の甲子園「伝説の決勝戦」 80年代以降の“ベストゲーム3選”
夏の甲子園もいよいよ大詰め。今年も熱戦を勝ち抜いた2チームが深紅の優勝旗をかけて決勝戦で激突する。過去にも数多くの名勝負が繰り広げられた頂上決戦の中から、1980年代以降のベストスリーを選んでみた。【久保田龍雄/ライター】
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第3位 「PL学園」対「宇部商」(1985年)
まず第3位は、1985年のPL学園対宇部商を選んだ。
桑田真澄、清原和博のKKコンビを擁し、“横綱相撲”で勝ち上がったPLに対し、宇部商は準々決勝、準決勝と2試合続けて鮮やかな逆転勝ち。“ミラクル宇部商”の異名をとり、主砲・藤井進は準決勝までに大会トップの4本塁打を記録していた。
PLの先発・桑田は4連投とあって、疲労も限界に達し、試合前、「何とか3点までに抑えるから4点は頼む」とナインに頭を下げた。
一方、宇部商は準々決勝、準決勝で好救援を見せ、ミラクルを呼び込んだ背番号11の古谷友宏が初先発のマウンドに上がった。
2回、宇部商は四球を足場に犠飛で1点を挙げ、先手を取る。これに対し、PLも前日の試合で右足ふくらはぎを痛めながらもテーピングで出場した清原が、4回に藤井と並ぶ4号同点ソロを放ち、5回にも内匠政博のタイムリーで2対1と勝ち越した。だが、宇部商も6回に藤井のタイムリー三塁打と犠飛で3対2と再びリードを奪う。
その裏、“常勝PL”のベンチに重苦しい空気が漂うなか、清原がバックスクリーン左に2打席連続の同点ソロを放ち、再び流れを引き寄せる。朝日放送・植草貞夫アナが「甲子園は清原のためにあるのか!」と絶叫したのも、このときである。
そして、3対3の9回裏、PLは2死二塁、3番・松山秀明が右中間を抜く執念のサヨナラタイムリー。勝利の瞬間、桑田も清原も涙を流して喜びを爆発させ、歓喜の輪の中で清原が愛用のバットを傷つけまいと右手で空中高く掲げている姿も印象深かった。
初戦の東海大山形戦で29得点を記録し、OBの西武・金森栄治も「可愛げがないほど強過ぎる」と評した異次元の強さが一部のファンの反感を買ったPLだが、決勝戦の劇的幕切れを見て、初めて共感を覚えた“アンチ”も少なくなかったといわれる。
第2位 「松山商」対「熊本工」(1996年)
第2位は、“2つの奇跡”が生まれた1996年の松山商対熊本工である。
古豪同士の対決は、初回に松山商が3長短打と2つの押し出し四球で3点を先制。熊本工も2回に境秀之のタイムリー、8回に犠飛で1点ずつを返し、1点差に詰め寄った。
だが、9回裏の攻撃も4、5番が連続三振で2死。三塁側松山商スタンドから“あと1人コール”が起きるなか、最初の奇跡が起きる。1年生・沢村幸明が積極果敢に初球の内角直球をフルスイングすると、ライナーで左翼ポール際に飛び込む同点ソロになった。
土壇場で息を吹き返した熊本工は、延長10回にも星子崇の二塁打と犠打で1死三塁とサヨナラのチャンス。この場面で、松山商・沢田勝彦監督は2者を敬遠して満塁策で対抗し、ライトの守備固めに矢野勝嗣を送った。
直後、そのライトに、3番・本多大介が「最低でも犠牲フライにならないはずがない」と勝利を確信する大飛球を放つ。
懸命にバックした矢野は一瞬行方を見失ったが、浜風に打球が押し戻されているのに気づくと、慌てて前進してキャッチ。無我夢中でバックホームした。ボールは矢野の執念が乗り移ったように、捕手・石丸裕次郎が構えるミットにストライクで収まり、タッチアップして本塁をついた星子は間一髪アウト。今も語り継がれる“奇跡のバックホーム”である。
絶体絶命の窮地を逃れた松山商は11回、“ラッキーボーイ”矢野の左翼線二塁打を足場に3点を勝ち越し、27年ぶり5度目の優勝を実現した。
故郷に凱旋後、地元テレビ局が甲子園でのスーパープレーを再現させようと、矢野をライトの守備位置に立たせ、20球投げさせたが、すべて外れたという。本人は真夏の奇跡を「3年間厳しい練習に耐えてきた自分に対し、最後に神様が与えてくれたご褒美ですね」と回想している。
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