「映画で見たまんまの人が目の前に……」 吉原のナンバーワン嬢が明かした“世紀の二枚目”アラン・ドロンとの一夜

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「私の目の奥を覗き込むの」

 この騒動もあって、丸千代嬢への予約が殺到。「歌麿」は大繁盛するが、派手に騒がれて目立ったのが仇になったのか、およそ1か月後、売春防止法違反で警視庁の摘発を受け、店は閉店することに。

 写真家・ジャーナリストとして、色街や性風俗を取材し続けた広岡敬一氏(1921~2004)は自著『戦後性風俗大系 わが女神たち』(2000年、朝日出版社)で、丸千代嬢へのインタビューを残している。

「前もって社長から言われてたけど、まさか、と思ってた。それが映画で見たまんまの人が目の前に現れてさ。心臓が止まりそうなくらいびっくりしたわ」

「店は潰れるし、私も警察に呼び出された。迷惑は大きいけど、世界的な色男とのセックスだから一生の思い出よ。最初に会ったときのあの目。微笑みながら、遠くを見るような透き通った碧い瞳。イクときだけ、私の目の奥を覗き込むの」(いずれも前掲書より)

 丸千代嬢はキャリア4年。大学入試の浪人中に男を覚え、遊びまわっているうちに金回りのいい高校時代の同級生と再会するが、その同級生がトルコ嬢をしており、丸千代嬢もその気になって業界デビューしたという。

 ドロンは外国人には珍しく、きめの細かい肌で胸毛もなかったそうで、

「彼のは普通の外国人と感じは一緒。サイズは大きめだけど、刺激しても芯まで硬くならないの」(同)

 とのことだが、濃厚なプレイの一部始終は、同書を読んで頂くとして、前掲「FOCUS」によると

〈「陽気でお酒が強くて、酔うと上田正樹の“悲しい色やね”を唄うコ」(トルコ嬢仲間の話)〉

 という丸千代嬢のその後の消息は、分からないという。

新名称の誕生

 ドロン騒動の翌1984年8月、業界内で大きな動きが起こる。元留学生のトルコ人青年が、「自分の国の名称を使わないで欲しい」と厚生省(当時)に訴えたのだ。国際問題に発展しかねないと、業界も対策を協議。東京のトルコ風呂業界団体が新名称を公募、同年12月19日にトルコ大使館の文化広報参事官も同席した記者会見を開き、現在の「ソープランド」に決定した。この運動に、当時はジャーナリストだった小池百合子・東京都知事も絡んでおり、

〈私は時事問題を扱うテレビ番組に出演しておりました。その時、トルコの留学生と知り合ったんです。彼と話をしていたら、母国の名が、いわゆる風俗の代名詞になっていることを嘆き怒っていて。私もそれに賛同して、行動を起こしたんです〉(サンデー毎日2017年6月11日号)

 名称は変われども、今も芸能人やスポーツ選手、政治家など、お忍びで吉原を訪れる有名人は多いが、

「国際的な知名度と人気で、アラン・ドロンを超える大物が吉原にお忍びでやってきたという話は聞いたことがありません」(元夕刊紙の風俗担当記者)

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