「映画で見たまんまの人が目の前に……」 吉原のナンバーワン嬢が明かした“世紀の二枚目”アラン・ドロンとの一夜
6年ぶり5度目の来日で――
1983年10月27日、初の監督・脚本・主演作品となった「危険なささやき」の日本公開キャンペーンなどもあり、アラン・ドロン(享年88)が来日した。6年ぶり5度目の日本だが、精力的にスケジュールをこなし、ファンや関係者の歓迎を受けた。
「映画で共演しているアンヌ・パリローさんは、現在のドロンさんの恋人だと言われていますが、どうなんですか?」
記者会見で女性レポーターの質問に、世紀の二枚目俳優はこう答えた。
「そんな質問に答えるために、1万キロも離れた日本にやってきたわけじゃないよ」
当時48歳。出世作「太陽がいっぱい」で若き殺人者を演じてから23年。どこから見てもカッコいい、まさに世界的スターの風格に満ちていた。
映画は81年に製作されており、配給の関係で日本公開は2年遅れとなってしまったのだが、ドロンが日本にやってきた別の目的を、写真週刊誌「FOCUS」(現在は休刊)が報じている(1983年11月11日号)。それによると、ドロンは年商数十億円といわれる「ADD(アラン・ドロン・ディフュージョン)社」のオーナー。同社は男性化粧品の他、〈AD〉マークのライセンス販売もしており、ライセンス料を支払っている日本企業の関係者を招いたパーティーを開き、ホスト役としてドロンが客をもてなしたという。
「FOCUS」は翌週も、日本滞在中のドロンの行動を追っているが(同11月18日号)、なんと、彼が東京・吉原のトルコ街(注・当時の名称)に繰り出していた様子を捉えた。
10月29日。ドロンは午後1時から麹町で茶会に出席。抹茶2杯を飲み「精神統一ができた」とご機嫌だった。テレビ取材を受け、宿泊先の京王プラザホテルで夕食をとり、その後、高速道路を使って吉原へ。午後10時半過ぎ、「歌麿」というトルコへ入店した。
総額2万8000円の同店で相手をしたのが、ナンバーワンの丸千代嬢(24)。同12時過ぎにドロンは店を後にしたというが、終始、店の周りや向かいの中華料理店に、眼光鋭い、日本人男性十数人が目を光らせていたという。
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