「サイレント・イヴ」の辛島美登里 大学時代までは「就職して、見通しの明るい人と結婚するのが一番いいと思っていた」のに…

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 TBSドラマ「クリスマス・イヴ」(1990年)の主題歌として大ヒットし、今なおクリスマスソングの定番として知られる「サイレント・イヴ」。この曲を作り歌った辛島美登里(63)は、ヒットの前年に28歳で正式デビューした遅咲きのシンガーソングライターだった。もともと、ソングライティングに力を入れていたが、その詞曲の素晴らしさが自身で歌う道を開いたといえる。

 幼少時から曲作りを始めたものの、「誰にも言わない趣味でしかなかった」少女はなぜ、稀代のシンガーソングライターとなったのか。コンテストへの応募から始まった本格的なミュージシャン人生、ロングインタビュー第1回ではその前半生について語る。

(全2回の第1回)

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幼少時から才覚を発揮

「気が付いた時には曲を書くのが好きな子どもで、難しいとか敷居が高いとか考えたことがなかった。幼稚園に行く日の歌とか、運動会の前の日の歌とか、自分で鼻歌を歌いながらお題目をつけて。そういう子どもでしたね」

 自身の幼少時をそう振り返る。ピアノを5歳から始めたとはいえ、そんな小さな頃から曲を作るとは、なかなか普通の人には体験できないものだ。だが、出身地の鹿児島県という土地柄を「テレビに出る人やレコードを出す人などがいる芸能界は縁遠い世界と思っていて。もともとレールの上に乗った人がやるものだと疑わなかった」といい、歌などは「誰にも言わない趣味でしかなかった」と小中学生時代を振り返る。

 辛島は高校受験に失敗し、中卒後に1年の浪人生活を送っている。そんな必死に受験勉強をしていた時代に、ラジオから流れていたのが「コッキーポップ」(ニッポン放送)。ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)につながるオーディション番組だった。

「当時の私が唯一知っているオーディション番組でした。そんなものがあるんだ。いつか私の曲がラジオから流れるといいな、ということが自分の夢になっていました」

「1回ぐらいチャレンジしなきゃ」

 高校は進学校で、勉強に忙しい日々を送り、奈良女子大に入ってからようやく自由な時間を享受できるようになった。人前でのパフォーマンスが苦手な自身を変えるためにも「バンドをやってみたい」と考えていたが、思う形の軽音楽部などはなく、入ったのは合唱部。「このままだったら、鹿児島に帰って就職し、普通に結婚して子どもを育てるんだろうな」とも考えたという。だがそこではたと考えた。

「1回ぐらい(人生において)チャレンジしなきゃダメなんじゃないか」

 その思いは日増しに強まり、大学3年時にポプコンに応募する。本来なら他人に歌ってほしいと考えていたが、バンドも実際にやったことがなく「表現するすべがなかった」という理由で、自身の弾き語りでデモテープを送った。後の歌手、辛島美登里につながるあけぼのがここにあった。

 デモテープの歌は、奈良のあじさい寺の様子やその感動をテーマにした「雨の日」。「奈良っぽい曲を書こうと思った。商業ベースには乗らない歌だけど、せっかく奈良にいるんだから」と作ったところ、奈良予選を通過して関西四国地区の代表を勝ち取り、全国大会となるつま恋(静岡県掛川市)での本選に進出。最終的にはグランプリを獲得し、翌年3月にシングル曲として発売された。

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