「最年少候補は泉健太代表」に現実味…自民党が窮地でも、「立民代表選」が一向に盛り上がらない決定的な理由

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岸田首相とバイデン大統領

 代表的な意見をXからご紹介しよう。一部の投稿は誤記の修正や、改行を省略するなど、手を加えた。

《自民党も酷いが、立憲民主党も古株ばかり。新しい人材は居ないの?》、《岸田首相の不出馬表明で、自民党総裁選が事実上開始。話題性に欠ける立憲民主党の代表選はますます空気に》、《こんな代表選に誰も興味ない》──。

 政治アナリストの伊藤惇夫氏に、まずは自民党の現状から訊いた。

「自民党は裏金事件の責任を全く取っていません。総裁という“表紙”を変えることで世論が変わることを狙っており、これは許されることではないと念を押しておきます。その上で、岸田さんが不出馬を決めたという第一報に接した時、脳裏に浮かんだのはアメリカのバイデン大統領でした。ご存知の通り、大統領は7月21日に大統領選からの撤退を発表しました。この決断は有権者に高く評価され、民主党には追い風となったのです。同じ効果を狙って、岸田さんは不出馬を決断したのかな、と思ったのです」

 さらに伊藤氏は「岸田さんが宏池会という派閥の出身者だったことも、不出馬の決断に少なからぬ影響を与えたかもしれません」と言う。

お公家集団の“宏池会”

「宏池会は池田勇人氏が創立した名門派閥で、今も自民党の“保守本流”を自認しています。なおかつ、昔から『政策通の議員も多いが、政争は苦手なお公家集団』という派閥でもありました。政争に弱いという代表例としては2000年に加藤の乱を起こした加藤紘一さん、2012年に総裁選再選を断念した谷垣禎一さんが挙げられます」(同・伊藤氏)

 加藤の乱とは、当時の森喜朗内閣に対する不信任決議案を野党が提出しようとした際、加藤氏が同調する動きを見せたことを指す。加藤氏は加藤派のトップとして宏池会を率いていたが、所属議員をまとめきれず、乱は不発に終わった。

 加藤の乱が失敗に終わり、宏池会は分裂。2005年9月に谷垣氏が会長に選出され、谷垣派が誕生した。さらに09年7月の衆院選で民主党が政権交代を実現すると、9月に行われた自民党総裁選で、谷垣氏が総裁となった。

 巨大野党である自民党と対峙していくうち、次第に民主党政権の支持率は下がっていく。自民党の政権奪回が現実味を帯びてきた2012年の総裁選で、総裁である谷垣氏は当初、再選を目指す意志を鮮明にしていた。ところが党内では支持が広がらない。最終的に谷垣氏は出馬断念を決断せざるを得なくなる。

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