「一平ちゃんのじいじは“その筋の人”で、ばくちも…」 水原一平被告の知られざる生い立ち【スクープその後】

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すし屋を開いた祖父

 彼が生まれた北海道苫小牧市は、札幌から南に約75キロ、いわゆる道央エリアの太平洋側に位置する港町だ。道内最大規模を誇る人工掘込港の苫小牧港は、国指定の「国際拠点港湾」として、タンカーやコンテナ船、そして本州との大型フェリーが次々と発着し、北海道の「海の玄関口」としてにぎわう。

 そんな港湾地区の一角にあった水原氏の生家周辺は、風光明媚なイメージの強い北海道にあって、殺風景な眺めが広がっていた。

 港の近くに大規模な製紙工場や製油所が乱立している関係で、そこへ通う労働者が住む長屋のような社宅と一般の住宅が、だだっ広い道の両側に混在しているのだ。

 そうした港湾労働者や地元住民を相手に、今から半世紀ほど前、水原氏の祖父は、20坪あまりの借地に木造2階建ての住居兼店舗を建て、小さなすし屋を始めた。

 当時を知る地元住民に話を聞くと、

「もともと一平ちゃんの祖父は、夕張で仕事をしていたみたいだけど、炭鉱の閉山などが重なり景気が悪くなって、苫小牧の方に流れて来たみたいです」

 1階が祖父の営む「栄寿司」、そこに祖母が切り盛りするスナックが隣り合わせのような形で営業していた。その2階の部分に、水原氏とその両親が祖父母と同居していたという。

祖母は「美人ママ」

 件のスナックに通っていた客は、こう振り返る。

「一平ちゃんの祖母は、もう齢は80を超えているはずだけど、当時から年齢よりも若く見える美人のママで、よく独り身のお客さんの面倒を見てくれていた」

 水原家と親交のあった別の地元住民はこう振り返る。

「一平ちゃんの祖父も面倒見が良いというか、他の人のためにお金を使ってしまうようなお人よしタイプでしたね。入れ墨を彫った仲間とつるんではいたけど、自分が近所の店に入る時などは、真夏でも必ず長袖のシャツを腕まくりすることなく着て周りに気を使っていたように見えるし、高級車を乗り回してひけらかすこともなかった。奥さんだって、いつも自転車で移動していたくらいだから、決して羽振りが良かったわけじゃないと思う」

 実際、町内に外からヤクザ者が来ると、水原氏の祖父が営む「栄寿司」に足を運ぶ光景が見られたという。

「あの当時、普通の飲食店だったらタダ食いされるのが面倒だから、幾らかカネを握らせて帰ってもらうところなんだけどね。一平ちゃんの祖父は、渡すお金がなかったのか、たらふくごちそうしてあげちゃったみたい。奥さんが“えらい量の寿司を食べられて困っちゃうの”と嘆いていたのを聞いたことがあります」(同)

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