悠仁さま18歳に 40年ぶり皇族の「成年式」で浮かび上がる皇位の行方

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令和の徳川家治になれるか

 一方で、4月に共同通信が実施した世論調査では、女性天皇を認めることに90%が賛同している。理由として「天皇の役割に男女は関係ない」などが挙げられた。5月には毎日新聞も世論調査を実施。女性が天皇になることに対して賛成が81%に上り、反対は10%にとどまった。リベラル派の意見が広く一般に浸透してきていることが分かるが、議論は結局平行線をたどっているというのが現実だ。

 宮内庁OBは「このままタイムアップとなる公算が大きくなっている。悠仁さまが即位されることに異論があるわけでは決してないが、この窮状下に議論が深まらないのでは、皇室の存続は覚束無くなる。必ずや禍根を残すことになるのが分かっているだけに歯痒い」と吐露する。

 江戸幕府の10代将軍・徳川家治の妻(正室)は東山天皇の孫で、東山天皇の息子・閑院宮直仁親王の娘に当たる倫子女王だ。つまり閑院宮典仁親王(慶光天皇)の妹である。34歳で亡くなり、皇室との関係が強固な上野の寛永寺輪王殿(輪王寺)に埋葬されている。武家に生まれた家治は武士のトップの座にはついたものの、格式高い天皇家の看板に対する憧れは極めて強かったといわれる。

 高貴なイメージへの憧憬は、武力で成り上がった徳川家全般に根強く存在したコンプレックスの裏返しでもあったのだろう。慶光天皇は死後に功績を評価され、天皇の呼称を贈られた人物だったが、家治が「天皇の義理のきょうだい」として後世に名を残したことは紛れも無い事実だ。家治自身の“承認欲求”は十分に満たされたはず。果たして小室さんは“令和の家治”になり、「天皇の義理のきょうだい」として後世に名を残すことになるのだろうか。

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部

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